とわにあかりを

零細企業経営者兼自称がん患者生き方評論家 大手通信事業者、外資系コンサルティングファー…

とわにあかりを

零細企業経営者兼自称がん患者生き方評論家 大手通信事業者、外資系コンサルティングファームなどを経て、2009年12月に母親の病気を機に父親が創業した会社の代表となる。46歳の時に悪性リンパ腫を発症。寛解を得るも48歳で再発し、造血幹細胞移植を敢行。現在は移植後の長期経過観察中。

マガジン

  • 闘病記【番外編】

    2019年夏頃の悪性リンパ腫初発を経て、自分に起こった気持ちや生活の変化、コロナ禍で変容した社会との関わりについて書いています。がん闘病中や経過観察中の方にお読みいただければ。

  • 闘病記【初発編】

    2019年夏頃に発症した悪性リンパ腫の闘病記です。 症状が出てから診断確定を経て、治療終了までを書いています。 悪性リンパ腫や血液がんと診断され、抗がん剤治療や放射線治療を受ける方、受けている方の参考になれば幸いです。

最近の記事

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がん患者道【はじめに】

2019年9月に「悪性リンパ腫」と診断され、2カ月間の入院治療を経て退院し、社会復帰するも2021年8月に再発。再度の抗がん剤治療でなんとか第二寛解を得て、同年11月に造血幹細胞移植を敢行。年末に退院し、現在は元気に過ごしてはいますが、移植後の長期経過観察中の身です。 がん患者になってみて痛感したことは、 ①同じ病気で闘病し、克服した方のブログや情報が少ない(ブログ全般的には亡くなった方の闘病記の方が多く見つかってしまう) ②患者視点で書かれた治療への向き合い方などの書

    • 番外編:初発から再発まで④

      コロナ禍での人付き合い 新型コロナウィルスの感染拡大の対策として、緊急事態宣言や外出自粛が呼びかけられ、人が集まる機会そのものが社会全体で減りました。公私問わず集まろうと思っても、企業ではテレワークやリモートワークが一般的となり、多くの飲食店で休業もしくは営業時間が短縮され、そもそも人が集まる場所が失われました。学校でもオンライン授業の導入が増え、社会全体として外出する動機がなくなってしまいました。 僕の様な抗がん剤&放射線治療から回復したばかりのがん患者は、コロナウィル

      • 番外編:初発から再発まで③

        ラグビーとの出会い 僕の発病と前後して、息子は本格的にラグビーに傾注することになります。もともと、仲の良い友人がNTTコミュニケーションズ シャイニングアークス(現浦安D-Rokcs)の選手と懇意にしてることもあり、秩父宮ラグビー場での試合に何度か一緒に応援に行ったことはあったのですが、息子を含む子供たちは試合を見るより、周辺で鬼ごっこをしたりして遊んでいるような感じでした、 そんな息子に火をつける出来事がありました。それは、我が国で行われたラグビーワールドカップ2019

        • 番外編:初発から再発まで②

          生きた証を残すために 「闘病記(2019年9月~12月頃①)」で触れたように、所属していた公共慈善団体では、2020年7月からの次年度幹事を引き受けることが決まっていました。しかし、悪性リンパ腫は白血病などと同じく、抗がん剤などの治療が効きやすいという反面、再発率が高く、さらに再発すると初発で使用した抗がん剤は原則効かなくなるため、予後が悪いという残念な特徴を持っています。 12月末のクリスマス会より団体に復帰し、できる限りに集まりにも参加することはできましたが、「番外編

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        がん患者道【はじめに】

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        • 闘病記【番外編】
          4本
        • 闘病記【初発編】
          6本

        記事

          番外編:初発から再発まで①

          平穏な日々を悔いなく生きる 年末に行った妻との旅行、そこでの吉本喜劇の観覧での笑いが狙い通りに功を奏したのかはわかりませんが、年が明けてのMRIとCTでも「順調、再発などの兆候なし」という診断でした。そこで、先生と相談し、「無理をしない、楽しいと思える範囲で」という注意をうけつつ、2020年2月にスキーに行くことにしました。 やはり2ヵ月の入院でかなり体力が落ち、特に脚力が落ちていたので、昨年の感覚とは違うスキーにはなりましたが、寒くても冷たくても、足が疲れて棒のようにな

          番外編:初発から再発まで①

          闘病記(2019年9月~12月頃⑥)

          とどめの副作用と医療用麻薬 抗がん剤の最後の3クール目の投与が終了した頃、放射線治療もあと数回を残すところとなりました。もう少しで口内炎との副作用の戦いも終わりか、と思ったつかの間、なんだか首のあたりがヒリヒリしてきます。気のせいかとも思いつつ、夜寝ている時に痛痒いというか、妙な感覚に無意識で首のあたりの患部をひっかいてしまいました。次の瞬間「ギャー」と叫びたくなるのを抑え、飛び起きて鏡を見ると鎖骨あたりの皮がべローンと剥がれています。こりゃ痛い。めちゃくちゃ痛い。ものすごい

          闘病記(2019年9月~12月頃⑥)

          闘病記(2019年9月~12月頃⑤)

          妻の笑顔と子供たちの訪問 しかしながら、副作用を克服する原動力は何といっても、お見舞いに来てくれる時の妻の笑顔と子供達の無邪気さだったと思います。 妻はほとんど毎日、お見舞いに来てくれました。僕は病院食、妻は持ってきたお弁当などをランチの時間に一緒に食べるのが日課となっていました。治療のスケジュールがずれ込んだり、昼に放射線の治療や検査が入ったりすると妻の訪問をキャンセルしないといけないので、そんな日はブルーでした。従い、何より妻が来るのが待ち遠しく、お昼ごろになるといつ

          闘病記(2019年9月~12月頃⑤)

          闘病記(2019年9月~12月頃④)

          忍び寄る過酷な副作用と手厚いケア 入院初日、血液腫瘍科の先生から受けた治療の説明はなかなか厳しいものでした。まず、全身のリンパ腫を叩く抗がん剤は3週間を1クールとして3クール9週間、上顎にある腫瘍については放射線で平日ほぼ毎日2グレイの照射を行い、土日の休みを挟みながら合計27日間で54グレイの照射を行うことで殲滅させるというもの。 なお、リンパ腫の中では質が悪い部類になり、急に増悪したりするので、とにかく治療をスケジュール通りに完遂することを目標とし、治療中でも予断を許さ

          闘病記(2019年9月~12月頃④)

          闘病記(2019年9月~12月頃③)

          初めての長期入院とその準備 生検の結果が出たとのことで、診察を受けに行くと、先生から「よくあるタイプのリンパ腫ではありませんでした」との説明の後に「節外性NK/T細胞リンパ腫 鼻型」という診断結果を告げられました。正直「???」でした。病名を聞いても、重大さや深刻さが全く分からなかったからです。 悪性リンパ腫の中でも非常にまれなもので、治療には抗がん剤と放射線を並行して行い、個人差もあるが2~3ヵ月程度の入院が必要とのことでした。ステージはいわゆる「1から2の限局期」で治療

          闘病記(2019年9月~12月頃③)

          闘病記(2019年9月~12月頃②)

          癌研有明病院での初診と診断確定まで 歯科医での宣告の後、翌週の始めに妻と癌研有明病院に行きました。癌研というとやはり国内でもトップクラスの専門病院ということを今まで縁がなかった僕でも知っている一般的評価であり、頼りになるという思いと、自分がまさかここに患者として来てしまったのか、という落胆とが入り混じる複雑な気持ちで向かうことになりました。 初回は口腔外科医からの紹介であったこともあり、頭頸科での診察となりました。医師はがん(の可能性がある)患者といえども、至って普通に淡々

          闘病記(2019年9月~12月頃②)

          闘病記(2019年9月~12月頃①)

          発端は奥歯近くの口内炎 2019年の夏、僕の人生はまさに順風満帆と言ってよい状態でした。 46歳の誕生日を迎え、父から継いで10年が経つ事業も順調に推移し、M&Aにも成功し、支工場を設立。毎年花火が見える日に海に隣接した工場で実施していた「お客様感謝フェア」にも沢山の来場があり、多くのお客様に囲まれ、会社の代表として充実感でいっぱいの時を過ごしていました。 また、事業に関連した業界団体のリーダーとして地域を統括する役割に任命され、同業者との交流を深め、業界の啓蒙および広報

          闘病記(2019年9月~12月頃①)