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“被災者“だからこそ、“被災者“でいられない

1.1の地震から
もうすく1ヶ月が過ぎようとしている。

2次避難で能登から離れる事を決め、
能登を離れて2週間が経とうとしている。

何か変わったかというと、
何も変わってないような、
変わったような…

自分のこれからの事を考えてみては、

「こんな事考えている私は
まだ余裕があるのかな…」

と落ち込んでしまう。

週1回〜2回、能登へ帰り、
色々と作業はしつつ、
惨状を見たり聞いたりすると、

「もっと大変な人がいる。」

「まだ能登に残らざるを得ない人たちもいて、
2次避難してきたからそんな悠長な事が考えがえられるんだ。」

「逃げてきた私はダメなんじゃないか。」

と自分を責める言葉ばかりが
浮かんでは消える。

ただ、住む家がないのも事実。

だけど、身体は元気だから、
仕事への復帰も待機の状態で、
時間を持て余してしまうというのも事実。

こんな事に悩めることすら
幸せなのかもしれない…

グルグル思考の罠にはまる。

とりあえず、
能登以外での活動に参加してみようかと、
ボランティアの登録してみた。

動けることから動いてみよう。

どうしたら気持ちの落ちところが
見つかるのか、
手探りな日々は続きそう。

2次避難して
安全なところにいるからそれで良い、
というわけじゃない。

被災者だからこその、
複雑な心境の今日この頃。


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