蛇がいる

 巳年生まれではないし、よくある蛇の神話やキャラクターっぽい要素は自分には全くない。私は至極平凡で、残念ながら金運も良くないし何かの生死や再生にも関わりのない仕事を淡々とこなす日々だ。が、私の中には、蛇がいる。何匹も何匹も、蛇がいる
 いるのは、マムシやコブラのような、攻撃性が強く「カッコいい」蛇ではない。自分の生まれ育った田舎の山中で見るような、おとなしいアオダイショウやシマヘビだ。しかもみんな割とのんびりとおとなしく、そんなに大きく長い体ではない。せいぜい、大人の腕一本分くらいの長さで鉄パイプくらいの太さ。とぐろを巻くとちょっと苦しいかもしれない。ぽっちゃりめで、ややツチノコのフォルムだ。
 私は、その蛇たちを「文章」として現実世界へ引きずり出す

 物心つく前から、私は聞き分けが良くおとなしい子であったらしい。育てた人たち曰く、「まったく手がかからなくて、特に教えなくてもいつの間にかトイレも読み書きもできていた」という。実際、自分でもあまり周りの大人を困らせた記憶はない。それは別に「私が大変に良い子」だったというわけではなく、良くも悪くも、自分の感情や感覚を人に伝えるのが下手だったのだろうと、今は分かる。あと、人の体温が少し苦手なので、手取り足取り何か世話を焼いてもらうより、見て覚えて自分でやりたい性質だったのもある。
 とにかく、私は自分の感情を感じとることが下手だ。今も、それは根本的には変わっていない。誰かにいじめられたとしても、「どうしてこの人はこんなことをするんだろう」「どうして私は害されているんだろう」とは考えられても、「嫌だ」「悲しい」がその場で出てこない。誰かに優しくされたとしても、「どうしてこの人は私に親切なんだろう」とは考えても、「嬉しい」「好き」にはその場で結びつかない。怒りや安らぎも同様で、その場ではその出来事そのものを事象としてとらえて処理している。
 では何も感じないのかというとそうではなく、その出来事があってから数時間経って、大抵は寝る前に、布団で一人でうとうとしかけた時にようやく気が付くのだ。「あの時、怖かったな」「あれは腹が立ったな」「あの人が好きだな」と。そしてそうなってから、涙が出たり微笑んだり、という行動につながる。
 最近巷で話題の「繊細さん」の真反対・「鈍感野郎」なのだと思う感情に関する回路が錆びているのか最初から欠陥があるのか、とにかくひどくその箇所の接続が悪い
 厄介なことに、その反動が身体症状に出やすい。学童期から、発表会や運動会の終わった夜や翌日に寝込んだり吐いたりということがしばしばある。大人になった今も、大事な仕事やイベントの終わった夜や翌日は頭痛・めまいや発熱・腹痛に悩むことが少なくない。どうやら、緊張が解けて、というよりは、緊張を感じていたのが本番を過ぎた数時間後にようやく体に伝わっている気がする。
 表面的には、他人には私はいつも大体落ち着いていて穏やかに見えるらしい。試合や試験やプレゼン等の前も真っ最中も、よく「緊張してないね」「自信あるんだね」と言われる。が、実は「嫌だ、逃げたい、怖い」というマイナスの感情を感じるタイムラグが大きくて、その時はまだ自分の緊張状態をよく分かっていないだけなのだ。
 それはストレスに関しても同様で、十代の頃から十二指腸潰瘍や胃・食道ポリープというかたちで慢性的に二十年以上私を苛む。どこの街に住んでも、いつも真っ先にチェックするのは、スーパーでも飲食店でもない。良い消化器内科が徒歩圏内にあるかだ。
 喜怒哀楽のほとんどがそんな様子なので、私の感情や思考はいつだって自分の中で行き場を失ってしまう。怒りをぶつけようにも、悲しみを訴えようにも、自分がその感情に呑まれている時は相手は既にそこにいなくて出来事もとうに過ぎ去っている。幸いなことに私は根がのん気というか争いを好まない性質なので、今から蒸し返すことでもないかと、諦めてしまう。
 喜びや愛情というプラスの感情は、後から手紙や電話で伝えることもできる。たとえ相手が「え、今更?」と思ったとしても、プラスの感情を伝えたことで私としては完結したので気が済んでしまう。本当にありがたいことに、私のこのスローすぎる愛情表現をきちんと理解し、受取り、優しく汲んでくれる友人知人が両手で数えられるほどではあるがいてくれて、そのおかげで結婚していなくて家族と疎遠でもなんとか生きている
 さて、蛇である。そういうことを繰り返す内、私の中にはいつしか蛇が存在するようになった。
 大人になった自分から見て、私の生育環境に問題がなかったとは言い難い。少なくとも、私が率直な感情や意見を表することを許される環境ではなかった。当時、自分の周りにいた大人たちは、幼稚で世間知らずなのに自己主張と自己顕示欲だけは人一倍強い人が多かった。そのせいで、私の良くない性質が加速・固着した感も否めない。
 理不尽な扱い。無遠慮な言動。暴力、暴言、差別、依存、なすりつけ。私が怒りや悲しみを感じ、それを表出することなく諦めてしまった時。それは音もなく私のどこかに降り積もり、折り重なり、やがて透明な冷たい形のない生き物になる。本当は切れ目のない一本のチューブのようなものかもしれないそれは、私の中で確実に大きくなり続けた。

 それを自覚して、どうやらそれを文章にすることで自分でも掴めそうだと分かってきたのは、中学生の時だった。きっかけは、読書感想文のコンクールで当時の担任に推薦してもらったことだった。その顛末自体は対して楽しいものでもないのだが、自分の文章が他人に読んでもらえる・一定の評価をしてもらえる、という経験は私に軽い衝撃を与えた。
 こうすれば、私の中のこの得体の知れない透明な生き物は外に出てこられる。そして、この生き物の元になっているのは確実に自分が諦めてきた感情や思考そのものである。
 自分の中に蠢くその透明の何かを自分の手で丁寧につかみ取り、自分の選んだ言葉でひとつひとつ鱗をつけてやる。見えないけれどかなりしっかりと形を持っているそれに鱗をつける作業は、孤独で、自己憐憫や憎悪にも満ちている。そして同じくらい、慈悲と赦しを感じる作業でもある。それが本業ではないので、日々の仕事や雑務の合間に少しずつコツコツと言葉できちんと体をなしてやれば、そこには「文章」という立派な蛇が一匹出来上がる
 生まれた蛇は、私の中から出ていって、紙の上やPCの上で元気そうに這っていく。そして私の中にまだ残る仲間を呼ぶように、私の腹や首あたりに寄り添う。その姿は見えないし感触もない。だが、蛇は蛇に呼ばれて確実に数を増やす
 蛇の原料、蛇の素とでも言おうか。私の中の透明な何かは、毎日少しずつ、そして嫌なことやつらい思いの度に一層大きくなっていく。

 高校生の時、いわゆる「二次創作」「同人」文化に触れた。残念ながらBLやキャラクターのカップリング文化には開眼できなかった(オールキャラギャグやファンアートは今も好きで自分も描いている)が、その時、「夢小説」というジャンルを知った。既存のキャラクターや人物を相手役にして、自分自身をその恋人やバディに投影した架空の小説である。今は分からないが、当時は圧倒的に恋愛小説や性描写のあるものが多かった。
 大学生になってから、人気漫画の夢小説サイトをこっそりと運営し始めた。約二十年前の話だが、簡単なHTMLタグが使えればだれでも簡単にHPを作成できるというお手軽さと、自分のPCを買ったことも大きい。おそらく、週に1,2本は掌編くらいの長さのものを更新していたと思う。最終的な総話数は200を超えていたので、大学時代のほぼすべてサイト管理人をやっていたことになる。勉強をしろ、勉強を
 自分が恋愛小説や性愛に興味があったわけではない。むしろ、冷静に考えれば、そういうことにかなり向いていない性質だ。が、私の「書きたい」という欲を発散させるには格好の場だった。
 今思えば非常に打算的なことだが、その漫画は確かに好きだったのだが、それよりも「漫画の人気や夢小説というジャンルに乗っかって、自分の書いたものを誰かに褒めてもらいたい」というトンデモ下衆根性があった。今でも、思い出しては当時の小娘の自分をひっぱたきたいほどに恥じ入る行為である。
 が、一応、これは本当に心から誓えることなのだが、小説自体は大変真摯に書いていた。長編を何話かに分ける時は、伏線や場面展開をわざわざノートに書いて整理し、確か行数をそろえたり縦読みを仕込んだりしていた。何よりも、安易な性描写で人を釣ったことはない。あくまで展開として必要であれば、程度の性描写であり、肝心なのは登場人物の心の動きやいかに短い文章で最後まで読んでもらえるようにするかが一番自分の拘るところだった。
 まあ、二次創作で同人行為な時点で偉そうなことは何一つ言えない。仮にも法学部法学科を卒業しておいて、こういうことはいかんよな、と大学卒業とほぼ同時にサイトは閉めてしまった。
 その時、蛇はもちろんたくさん出てきた。誰かに拍手ボタン(わー……通じるのかな、この単語……)で感想をもらったり、公開アドレスにメールで感想をもらう度に、満足感と達成感でいっぱいになった。自分の蛇を愛でてもらったようで、嬉しかった。
 だけど、所詮はその蛇は、他者の作ったキャラクター造形や人気ありきのただの偽物。すぐに消えてしまって、自分が選んだ言葉の鱗だけがばらばらと後に残った。私は、その時の鱗を、捨てられずにまだ実は頭の隅にいくつか持っている。

 その後、病気をした。簡単に言えば、拒食症だ。本当は色々絡み合ってはいるのだが、自分でも説明がややこしいので、一番症状として分かりやすかったものを挙げておく。
 あの時のことを思い出すと、今も苦虫を10匹ほど噛み潰したくなる。要因は色々あった(一つとして、元恋人に体型をしつこくからかわれたのもある。大人になっても人の体型をいじるのが楽しいって奴は本当に考えてほしい)のだが、多分根本的な原因は、自分自身への嫌悪感と、生きている価値がどうしても見いだせなかったからだ。それが完治したかと言えば、完治というのは微妙だなーというところ。かなり回復しているし、一人でいるかぎりは再びあんなぼろぼろの状態にはならないだろうと思うけど。
 精神科の薬も、心理カウンセリングも、私には大変よく効いた。本当に、あの時の先生方には感謝してもしきれない。適切な投薬・減薬と、粘り強い面接のおかげで、私は死ななかった。大好きなバンドと大好きなサッカー選手にも、たくさん助けてもらってここまで来た
 もう一つ、あの時の自分を助けたのは、蛇だった
 ぼろぼろで、仕事もせずに実家の家事や祖母の介助等、時間だけは有り余っていたあの時。私は再び夢小説のサイトを始める。ジャンルや文体を言うと特定されるので伏せるが、どう考えても病んだ人間が呪いを吐くような小説ばかり書いた
 読んでほしいとか褒めてほしいとかじゃなく、ただただ、食べ物の代わりに自分の内臓に詰まっているような蛇を吐き出したかった
 救いのない話を書いた。とりとめのない、漫才の台本みたいな話を書いた。愛情がどうとか関係がどうとか、情緒や性描写がどうとか、まったく考えていなかった。自分の中にある透明な何かが爆発しそうなくらいに大きくなって、体と頭はいつもとっちらかっていて、しんどくてしんどくて、気が狂う。正気を保ちたくて、空いた時間はずっとケータイのメモ帳に小説を書いていた。
 蛇は、たくさん出てくる。私は無心で鱗を貼りつける。自分の中の声にならない「助けてほしい」「死にたい」が、蛇になる。私はひたすらきれいな言葉や好きな言葉を蛇のために鱗にする。きれいにできた他人に乗っかった蛇は、最終的には300を超えていたと思う。
 でも、私は知っている。これは所詮自分の本当の蛇じゃなくて、前もそうだったようにすぐに消えてしまう。じゃあ、今、こうやって蛇を自分の外に出している行為は無駄そのものじゃないか。食べて吐くのと同じ行為だ。
 そんな時、ある詩とイラストの季刊誌を買った。そこには読者投稿のページがあって、一般人が投稿して優秀だと選ばれたものがいくつか掲載されていた。
 その雑誌に、誌を投稿した。完全にオリジナルの、本当に私の中にあった蛇に鱗をつけただけのものを
 佳作の端っこに作品名と名前が載った時、私は夢小説のサイトの更新を止めた。他の雑誌や公募サイトで、投稿できる場所を探し始めた。
 それから、公募という手段に、私は自分の蛇の活路を見出していく。今数えたら、今年でちょうど十年だった。

 あるエッセイの賞で最優秀賞をいただいて結構まとまった賞金を得たのが九年前。この年と翌年は、他のエッセイや小説でも奨励賞や佳作をいただいて、ある授賞式にはおっかなびっくりこっそり参加した。
 そして、そのタイミングで、実家を出て、馴染みのない土地で一人暮らしと非正規雇用で働く生活を始めた。薬もカウンセリングもほぼ要らない状態になっていたこともあるし、自分なりに考えた結果、自分は誰かと暮らすことに向かないと判断したからだ。誰かといて、しかもそれが性格が合わない場合、私は確実にまた病んで今度こそ自分で寿命を決めてしまうだろう。そこには恋情や血縁は関係ない。私は、一人でないとだめだ。
 代わりということではないが、私には、この身に無数の蛇がいる。この頃には、蛇のことを理解できてきていた。
 どうやら、私が深く傷つく度に蛇の素は重くなる。言えなかった思いや考えが墜落していった分、ずっしりと。そして、その身を太らせ、私が鱗を貼りつけると生き生きと楽し気に私から出ていく。出て言った分は確かに軽くなっていて、その時ようやく私の感情は「悲しかった」「嫌だった」という痕になって確認することができる
 蛇に鱗を貼りつけることで、私は、私の感情を自覚する。出来上がってから、ああ、こんなに複雑な色味の感情だったのかと思ったり、なんだこんな単純な思いだったのかと気付いたりする。

 私の中の蛇がぽっちゃりめなのは、大人になってからの鬱屈が影響しているのかもしれない
 子どもの頃から性格や性質は大きく変わっていないが、私は大人になって「目の前の相手に合わせる」ことはできるようになった。そうでないと、仕事はできないからだ。
 私は、自分の感情の表現がどうしても遅かったり薄かったりすることを知っている。だから、先回り、予見、準備しておいて、相手がその時欲しい反応を返すようにしている。あまりないが、ドラマや映画を見る時は、その勉強だという思いが強い。ネットの記事やテレビ全般も、主に「他の人はこういう時は普通どういうリアクションをするのか」を学習する場である。
 もちろん、一番は実地の経験である。人間関係・人付き合いの中で、適切な対応を知っていく。学生の時、私がどうしても学校や仲間というものに馴染めなかったのは、こういう学習経験が圧倒的に少なかったからだ。大人になって、場数を踏めば踏むほど、その場で適切な振る舞いを覚えていく。私の経験上、接客業も事務職も倉庫業も、どこに行っても人間関係はある。
 随分、楽になったと思う。今はよほどのことがない限り、対応を間違えることはない。
 悲しい話は一緒に悲しい顔をして、愚痴や相談には適度に相手の怒りに同調しながら、盛り上がってる時は楽しそうにすればいい。空気を読み、相手のほしい言葉をかけ、ちゃんと仕事もできていれば私は明日も出勤できる。給与を失うことはない。
 だけど、疲れる。みんな同じようなものだと思うが、一刻も早く一人になりたくなる。嘘をついている、とまでは言わないが、自分の本当の感情や思考は今だって遅れてやってくる。
 あれは違うよな、とか、あれは矛盾してるな、とか。ふざけるな、とか、ばかにしてんな、とか。そういうものが、夜になると私の中にまたひっそり降り積もっていく
 そうなると、蛇は太る。子どもの頃からある透明な蛇の素に、新しいそれは溶けて混ざっていく。嬉し気に、蛇は毎夜太っていく。

 色んな所に詩や小説やエッセイの作品を出す。普通に働いているので、毎月とまではいかない。出したものの多くは選考に落ちる
 それでも、佳作として小さく名前が載ったり、奨励賞で賞品や賞金をいただく度、一人で色んな感情を噛みしめる。嬉しい、どんなもんだ、ざまあみろ。一人、見えない蛇を抱きながら悦に入る
 去年、ある大学の主催する文学の賞で最優秀賞をいただいた。ある県の主催する文学賞の最終候補に残った。他、エッセイで二つ、最終選考に残っていた。私の蛇が、私よりも生き生きとどこかで生きている。そしてそれが、だんだんと着実に増えている。
 私に深い喜びをもたらすのは、異性でも同性でも家族でも昇給でも子供でもない。私の中にいる蛇だけだ
 子どもの頃から、今現在まで。私の、蔑ろにされてきた感情や思考回路。諦めてきた私の全ては、蛇になって出てくる私自身が感じられなかったものも、その身にすべて孕んでいる。蛇は、私自身だ。
 実は、物心つく前から絵を描くことも好きで、そちらもずっと趣味として続けてはいる。二十代の頃には、それで小金を稼いでいた時期すらある。今も、休日は大抵なにか描いているほどには、絵を描くことは大好きだ。
 が、絵を描くことと、文章を書くことは、私の中では少し違う。絵は、私の感情や思考は経由してこない。もっと直感的で、脳と右手と目だけが、描きたいものを描いている。描けると、スッキリする。これは、思いっきり運動して汗をかいてシャワーを浴びた時の爽快感に近い。端的に、ストレス解消なのかもしれない。
 文章を書くことは、私の感情や思考、人生分溜まった透明な蛇の素からしか生まれてこない。言葉という鱗を選ぶことは客観的な行為に近く(好み、センス、が関わってくるので完全に客観ではないと思うが)、非常に生々しく血の通ったものを硬質なもので整えながら形どる作業だ。書き終わってスッキリ、とはなったことがない。
 自分の蛇を、私は今日も掴む。そして鱗を貼りつける。原稿用紙30枚になるか、300枚になるか。キーボードと同じひんやりした体温をもつ蛇を、一人黙々と生み出し続ける。
 

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