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祝50周年…「ウルトラマンレオ」第1話・第2話に思う。

どうも。
永遠の「帰ってきたウルトラマン」推し、Kトレです。
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去る4月12日は、「ウルトラマンレオ」第1話「セブンが死ぬ時!東京は沈没する!」放送から50年だった。

「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA(エース)」「ウルトラマンタロウ」に次ぐ"第二期ウルトラシリーズ"のトリとなった本作は、日本沈没などの影響を受けた終末ブーム、燃えよドラゴンなどの影響を受けたアクション映画ブームの影響を色濃く受けた、ウルトラシリーズの中でも異質の作品として知られる。
主人公であるウルトラマンレオ=おおとりゲンの作品外での活躍もあり、そのキャラクター人気は非常に高い反面、時代の差もあってか作品そのものが顧みられる機会はそう多くないように思う。

今回は第1話、そして第2話「大沈没!日本列島最後の日」の前後編に詰められた「レオ」の独自性とある種の先進性を取り上げたい。
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「レオ」第1話は、これまでのシリーズ同様主人公の紹介から始まったかと思うと、いきなりウルトラセブンと双子怪獣レッドギラス・ブラックギラスの戦いに突入する。この時点でアクションはかなりのもので、更にアイスラッガーまで使ってくれるのが嬉しいが、そう思ってる間に悪賢いマグマ星人が現れ、セブンは徹底的に痛めつけられる。
その窮地を、レオが颯爽と救うのだ。
マグマ星人は撤退し、ドラマはゲンとモロボシ・ダンの"誓い"へと繋がる。

「見ろ、あそこに沈む夕日が私なら、明日の朝日はウルトラマンレオ、お前だ!」
-かくて二人の宇宙人が、力を合わせ地球を守るために戦う事となった。-

明るいウルトラ兄弟の時代から、兄弟とは異なる出自を持つレオへのバトンタッチは実にドラマチックだった。そして、この夕日を前に向かい合う二人をOPのラストカットに添えるセンスは、このドラマの主役が人間でも怪獣でもなくレオ自身である事を強烈に印象付けてるように思う。

それからストーリーはゲンのMAC入隊と守るべきスポーツセンターの人々を映し出した後、再び双子怪獣が起こした大津波へと移る。
出動したゲンはL77星人の超能力で双子怪獣の存在を確信するが、MACのレーダーには何の反応もなく、隊員達はその場を引き返してしまう。
帰投後、ゲンはその苛立ちをダンにぶつける。それに対してダンは…

「お前も私も確かに宇宙人だ。だが忘れてはならない事がある。それは、二人とも人間としてあの地球に居るという事だ!」
「愛する地球を自分の手で守れと言ったのは、貴方じゃないですか!人間だの宇宙人だの、言っている場合じゃありません!」
「違う!人間の世界では、人間のやり方でやらなければならない。」
「貴方は故郷を奪われた者の心を知らない…!」
「ゲン!私にとっても地球は故郷だ。」
「馬鹿な!もうすぐ東京が沈むというのに…!」

初代「ウルトラマン」の頃から何度も語られてきた「ウルトラマンと人類の関係性はどうあるべきか」というテーマに、ゲンは初めてウルトラマン側の視点から深く切り込んだと言えよう。特に「人間だの宇宙人だの〜」からは「ウルトラマンメビウス」や近年のウルトラシリーズにおける「種族を超えた絆」にも通じる思いが見て取れるが、ここではその思いがダンによって否定されている。
この辺りで、レオという作品はそういうスタンスなんだぁ〜というのがだいぶ見えてくる。
因みに「ウルトラマン80」でも80=矢的猛がユリアン=星涼子に地球人のルールに従う道理を説くが、それは「郷に入っては郷に従え」というものだった。郷ひろみならテレビで見たことあるわ!
作風の違いがくっきり見えるだろう。

ゲンもダンの言い分納得しないのは視聴者と同じで、遂に姿を現した双子怪獣を前にレオに変身するが、力の差は歴然。

続く第2話。ダンは決死のウルトラ念力を用い、マグマ星人と双子怪獣を撤退させる。

「お前は自分の星が全滅された憎しみだけで星人と戦ったのではないのか?」
「それがいけないんですか!?」
「バカヤロー!」
「隊長!」
「お前に、この脚の傷みが分かるか?お前は…命を失うところだったんだぞ!」
「それではあの時隊長が…」
「言うな!」
「隊長が僕を助けてくれたんですね!」
「うるさい!お前は…自分が守らねばならぬ地球人を、巻き添えにしたんだ…!」
「何ですって?」
「百子さんは、今病院で生死の境を彷徨っている。今度我々が守りきれなかったら、日本は沈没する!」

「故郷を奪われた者の心を知らない」に対する回跨ぎの強烈なカウンター。変身出来なくなったダンもまた、命を削って戦うのだ。それはゲンがヒーローとして未熟である事実を否が応でも突きつける。 
「帰マン」「A」「タロウ」でも主人公は未熟であったが、ウルトラマンとしては基本的に万能に描かれてきた。だが「レオ」では初回から心乱れ闇雲にしか戦えないウルトラマンを描いてしまった上、その為に生じた被害にもさりげなく言及してみせた。なんかこう、やり過ぎである。
そしてストーリーはいよいよレオ名物「特訓」に移る。ダンは「スピンにはスピン」と解き、鋭い破壊力を生み出す回転力と、それに耐える強靭さをゲンに身につけさせようとする。もう包み隠さぬスポ根の画だ。
打ち込むゲンだが、双子怪獣がいつ現れるか以上に、百子の容体が気になって仕方ない。焦るゲンを、ダンは「まだ特訓は終わってない」と無言で止める。
ここでダンの鬼軍曹ぶりは頂点に達した。主人公にとっての安らぎや助言をも許さず、ただ己一人で特訓を完結させる道を課したからだ
更に現れた双子怪獣を前に、本格出撃を果たしたMACは"ひとたまりもなかった。"(ナレーション談)。ストーリーライン上は大した時間稼ぎにもなってないと見ていいだろう。焦るダンの姿に、前後編通しての焦燥感は頂点に達する。その時、遂に特訓の極意に達したレオが駆けつける!

特訓の成果としての「きりもみキック」のもたらすカタルシスは確かに本物なのだが、マグマ星人は戦わず逃げてしまった。瀕死の百子に獅子座が起こした奇跡も、何が起こったかは分かりにくく、尻すぼみ感は否めない。
まぁこれは創作あるあるで「追いつめ過ぎた結果、事態の打開に尺を割けなかった」としてしょうがないこと。

それでも最後のナレーションで「戦いは始まったばかり」であるとする盛り上がりは評価すべきだし、次回(第3話「涙やさよなら・・・」)以降もゲン、ダン、百子、カオル(と次回初登場のトオル)とそれぞれのドラマが前回のテンションを保ったまま、ハードな展開が続くのである。
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いかがだろうか?
異質感の波状攻撃とでも言うべき「ウルトラマンレオ」の濃さ、重さ。

確かに不適切にもほどがあるかもしれないが、純粋にこれまでにない物語の導入として、とても良く出来ていると思うのだ。
そしてここで描かれた要素、特にゲンが抱えるアイデンティティは、その後の路線変更においても薄まる事は殆どないと言ってよく、その点では寧ろ「派手なアクション」「MAC全滅に代表されるハード演出」と同等の見どころであると個人的には思う。
50年前、「もうウルトラマンは一区切りかな」という思いの中で円谷プロが生み出した傑作として、レオを再認識するキッカケになれば嬉しい。

ではでは。