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自分ノート(その2)

「生まれる」と「受肉する」では、同じ現象を外から見るか、内から見るかの違いです。前者は無から生じたように見えるかも知れませんが、本人にとっては単に状況が変わっただけです。もし、人間が無から生じたものであれば、死ななかったはずです。何故なら、ひたすら生きるだけの「存在」だったはずなので・・・しかし、存在とはそもそも対極的なものなので、生と死の対極性の下にもあります。つまり、生きるとは、常に死んでいることでもあります。したがって、人間も存在している限り、生と死のリズムの下にあります。最も短いのから長いのまで並べると、脈拍、呼吸、睡眠と覚醒、一週間、一月、一年、色々な節目、誕生と死になります。誕生と死のサイクルはプラトン年(約2160年)と言われていますが、男と女を交互に繰り返すので、実際には半分の約千年といったところでしょうか。まあ、千年も経てば、状況はかなり変わるので、また生まれて来る価値はあるでしょう。しかし、今回は女(男)で生まれて来るはずが、適当な体が見つからず、仕方なく男(女)に生まれて来る人たちが一定数いることは確かでして、LGBTの問題は輪廻転生を考慮しなければ理解できないはずです。また、人口の増加は、千年待つことができず、前世の成果を十分消化できないまま早まって生まれて来る人たちが増えていることで説明がつきます。

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