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神様にお食事を献上する秋の神事~北白川高盛御供~

 左京区の京都大学から東へすすむと、北白川という地域があります。周辺は京都大学や京都芸術大学などの学校や銀閣寺があり、山々が見える落ち着いた地域です。
 
今回は、北白川にある「北白川天神宮」の神事、「北白川御供」(きたしらかわたかもりごく)という神様へお食事をお供えする(これを献饌といいます)神事をご紹介します。

秋の始まりの神事ですので、今から数か月巻き戻してみていきましょう。
いったいどんな神事なのでしょうか。


「北白川天神宮」は創建が平安遷都以前にさかのぼると考えられ、室町時代に足利義政により現在の地に移されました。北白川天神宮の秋季大祭の始まりを告げる献饌の神事が「北白川高盛御供」です。名前の通り神饌(=神様に献上するお食事)を高く盛り付けて神様にお供えします。
 
神事は10月1日朝から始まります。三幅前垂(みはばまえだれ)を腰に巻いた白川女(しらかわめ)が、神饌を載せた4つの槽(ふね)を頭の上に載せて運びます。白川女は4人(未婚の女性2人と既婚の女性2人)が氏子から選ばれ、一人がひと槽づつ祭壇までゆっくりと運んでいきます。

前日に槽を持たせてもらいましたがとても重いものでした。ですので、当日は保存会の男性が槽に手を添えて運ぶのを手助けしておられました。

今年は雨のため、屋外ではなく屋内で行われたのですが、無事に神様に神饌を献上できたと氏子の皆様は喜んでおられました。

白川女
北白川の里の草花を箕にいれて、頭の上に載せ、京へ売り歩いた女性たちのことです。平安時代に美しく装った北白川の娘が、里の草花を禁裏に献上したという伝承があり、近世になると、紺木綿の筒袖に紺絣の三幅前垂、白い腰巻に脚絆をつけ、手ぬぐいをかぶる装いとなりました。毎年10月の時代祭行列では、「白川女献花列」で白川女の姿がみられます。

ところで神事の中心である神饌ですが、どのようにつくられているのでしょうか?前日(9月30日)の準備にお伺いしました。
 
神饌は氏子を構成する3つの鉾仲間(一之鉾仲間、二之鉾仲間、三之鉾仲間)の男性が調理を行ってきましたが、現在は北白川伝統文化保存会の皆さんが調理しておられます。

様々な食材が準備されていきます

大根を千切りにして干したり、釜で炙りながら味噌の水分を飛ばしたり…。柿、芋、茄子、するめ、魚のシイラ、トビウオなどの準備など、様々な材料を皆さんで分担して準備されます。

北白川伝統文化保存会のみなさんによる準備が着々と進んでいきます

そしてこれらを20時ごろから夜を徹して調理します。カワラケの皿に味噌をつなぎとして、円錐形に小芋を高く盛りつけます。同様に大根なます、きざみ鯣(するめ)もそれぞれに盛り、三方(さんぼう)に載せていきます。そのほか、高く盛りつけられた白飯を注連縄で縛った盛相(もっそう)を載せた三方、白豆腐の上に神箸を載せた三方、トビウオの干物やシイラを載せた三方などを揃えます。
今年は完成したのは、1日の朝4時ごろとのことでした。

手間暇かけた神饌の準備がととのい、神事当日の朝を迎えます。
 


参考:佐和隆研・奈良本辰也・𠮷田光邦他編『京都大事典』、淡交社、1984年

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