同一経度上に並ぶ陵墓

 野口王墓は,緯度的には欽明天皇陵とされる梅山古墳の東方約500m,経度的には天智天皇の山科陵の南方約59kmに位置します。試しにgoogle mapで調べてみましたが,野口王墓,山科陵とも東経135.807度でした。驚くほど精度の高い一致です。さらにこの経度は藤原京の中軸線とも重なるとのことです。

野口王墓

 「日本書紀」には天武天皇が688年に埋葬され,703年には持統天皇が火葬されたうえで合葬されたとあります。天智天皇の没後すぐに壬申の乱が起こったためか,699年になってようやく山科陵修営の官が任命されました。これは野口王墓の造営と時期が前後しています。「修営」ということなので,死没直後に立地はしたものの,戦乱のため本格的な造営は先延ばしになったのでしょう。野口王墓は山科陵と同一経度となるよう測量したうえで造営され,八角墳という様式も共有しました。
 672年,壬申の乱が短期間に終結すると,さっそく天武天皇は飛鳥浄御原宮へ遷都し,大津宮は"廃都",半ばうち捨てられました。崩御から戦乱へとあわただしく動く情勢を,近江神宮の年譜で確認してみました。

・671/12/3 大津宮で天智天皇崩御(山科で遭難の説もあり)
・672/5 朝廷が陵墓造営のため人夫を徴発→陵墓造営を理由に兵を集めていると朴井雄君が大海人皇子に報告
・672/6/24 大海人皇子が挙兵(壬申の乱)

 そして壬申の乱に勝利した大海人皇子は8月には早くも飛鳥浄御原宮へ遷都,以後699年まで天智天皇陵に関する記述がみられません。天智天皇の崩御から半年間は殯が続きましたが,格的には天武天皇と同程度の,2年ほど殯が設けられたとしてもおかしくありません。陵墓造営そのものが壬申の乱の発端となってしまったため,壬申の乱の前あるいは後に,天智天皇の遺体は山科へ仮埋葬のような形であわただしく納められたのではないでしょうか。
 「万葉集」に天智天皇の元妻である額田王の歌が残っています。「やすみししわご大君のかしこきや 御陵仕ふる山科の鏡の山に 夜はも夜のことごと昼はも日のことごと 哭のみを泣きつつ在りてや百磯城の大宮人は去き別れなむ(あまねく国土を統治されたわが大君の恐れ多いことよ,御陵としてお仕えする山科の鏡の山に夜は一晩中,昼は一日中声をあげて泣きつづけて,今はももしきの大宮人も別れ別れに立ち去っていくのだろうか。)」
 この感情の高ぶり方が,天智天皇の遺体が山科に葬られた時期を推定する手がかりとなります。額田王は690年には死没しているので,699年以降に山科陵が修営された後の歌では当然ありません。これは天智天皇を山科に葬り大津宮へ戻るときの歌と解釈されており,その時期は人夫徴発の672年5月から大津宮廃都の672年8月の間に特定されます。しかし,このような短期間にはたして仮陵墓をつくることができたのでしょうか。
 5月から6月にかけてはまだ殯が継続中で,その殯はもっと長期間に及ぶ予定だったと考えれば,遺体を大津から山科へ移すという判断に至るはずがありません。壬申の乱が終結した7月から8月の期間に,あわただしく山科への埋葬が行われ,額田王が嘆きの歌を詠んだという経緯が一つ考えられます。
 しかし,天武天皇が即位した673年から死去する686年までの間,山科陵の修営は手つかず,さらに2年の殯を経た天武天皇の埋葬から11年後に本格的に修営が行われたというのは遅すぎます。しかも持統天皇は697年には退位,山科陵修営が始まった699年はすでに文武天皇の時代でした。天武・持統天皇そろって山科陵修営には手つかずだったにもかかわらず(天智天皇の事績の抹殺に見える),陵墓を同経度に築いた(明らかに天智天皇への敬意を示す)という2点に大きな矛盾を感じます。壬申の乱直後に"仮設"された山科陵は,すでに相当立派な古墳だったと考えるとどうでしょう。天武・持統天皇の在位中は修営を思いつかないほどの規模で。699年からの修営とは,さらに参道などの装飾を施す程度の工事だったのでしょうか。
 しかし,人夫徴発から遷都まで間断なく工事が行われたとしても,その期間は3か月にすぎず,陵墓の名にふさわしい古墳の造営は困難に見えます。特に八角墳は精度の高い設計が必要とされる古墳です。そこで672年に造営された古墳は,比較的簡単に盛土ができる円墳であった,699年からの修営で,これを野口王墓にならって八角墳に改造したと考えるとどうでしょう。"天智天皇への敬意"は保ったまま,いくぶん違和感が解消されます。699年は大宝律令制定の直前であったという点も重要です。文武天皇にとって,大化の改新で律令制の導入を打ち出した叔父の天智天皇を称揚し,父である天武天皇と並び立つ存在として奉ることは,律令国家の完成を告げるにあたって欠かせない事業の一つであったと考えることができます。

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