明治元年3月15日,五榜の掲示が掲げられる

 「関ヶ原古戦場記念館」は予約がないと入れないということで,成り行き旅行が裏目に出ました。そこで近所にある町の歴史館を訪れました。ここは壬申の乱で要衝となった不破関に近いこともあり,興味深い展示が並んでいました。明治初頭に出された五榜の掲示の現物を見たのも,今回が初めてで,ここでは第一~第三札が展示されていました(5枚がそろって現存している例はほとんどないそうです)。第一札には儒教における人の守るべき五つ道を示し,第二札では徒党を組んで強訴すること,逃散することなどを禁止,第三札ではキリスト教の信仰を禁止,第四札は外国人を殺傷したりすることを禁止,第五札は浮浪の者の取り締まりを示しています。

五榜の掲示 第一札

 3月14日に外に出て驚いたのは,ほとんどの通行人がマスクをしていたことです。カウントはしていませんが,ノーマスクは100人に3,4人といったところでしょうか。3年越しの解放の日に見たこの光景は,長い監禁から解放された人質が怯えて外に出てこない様に似ています。花粉症を理由にしている人もいますが,花粉症人口割合が25%程度と考えると4倍の外れ値が出ています。果たしてこれは近代以前から続く日本人の特質なのか,現代に生じた病なのか一所懸命考えているところですが,由来の新旧に関わらず珍妙であることは確かです。これまではマスクをしているだけで”良識的な市民のふり”をすることができましたが,3月13日を境にその道具としての意味は失われました。マスクを強いられて特にかわいそうなのは子どもたちであり,まずは大人たちが範を示さなければなりません。
 五榜の掲示には,五箇条の御誓文の方針とは裏腹の,急激な社会の変革は許されないという但し書きの意味合いがありました。五箇条の御誓文が発せられた1868年3月14日を境に,民衆の意識がてのひらを返すように開明的に変化したわけではありませんが,政財界の指導的な立場の人々の活動により文明開化は急速に進展していきました。今回の件も政府や影響力の強い人が例えばACを通じて啓蒙するなど,もう少し強い形で方針転換を知らしめる活動が必要でしょう。

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