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ついに感情がお亡くなりになったのか?

 見逃し配信が終わる前におっさんずラブを見た。

 3週間くらい前までメンヘラすぎて元気なくて、すがりつくようにおっさんずラブに転がり落ち、感情移入して阿鼻叫喚、全話号泣していたのに、もう今の私はドラマを他人事として気楽に楽しんでいた。
 そんな自分の落差がこわい。感情ジェットコースターですか?夕飯食べすぎて1時間以上経つのにまだハラが苦しいです。

 ただね、非メンヘラって、というか、うつ病になるよりもっと前の、子どものころの自分って、こんぐらい気楽に生きてたよなってなんか急に思い出したんだ。

 いつからか私は自分が傷つかないように自分を守ることを第一に生きるようになってしまっていたんだと気づいた。たしかに子どものころの私は恥ずかしがり屋で臆病で、人見知りではあったけど、いつからか頑なになってしまった。
 高校に上がったころ、自分が生まれ育った小さいテリトリーを離れて、たくさんの知らない子たちと友達になろうという気が、当時の私にはなかった。そのころにはもう、頑なな自意識が出来上がってしまったように思う。
 生まれなのか、育ちなのか、その両方か、はたまた思春期特有の気難しさからなのか、誰とも仲良くしようという気がしなかった。そのくせ、ひとりで浮いていることがダサイという認識だけはあったのだから、だったらおまえなんでそんな頑なに殻に閉じこもってんだよって、外側から叩き壊してやりたくなるが、結局は、そこからつい最近に至るまで私はずっと、15年以上この尖った自意識で生き続けてきたんだと知った。

 他人と関わらなければ、傷つかなくてすむ。自己開示の仕方も、距離の取り方も間合いの詰め方も、人付き合いを上手くやれる人からすれば鼻で笑ってしまうほどドヘタクソだった。
 自分が信頼する数少ない他人に、全面的に心を預けたかったし、預かりたかった。それが仲良くするということだと思っていた。だけど、それはあくまで自分が心地いいと感じるだけということ。それに私のはほとんど依存だった。

 ひとりだけの世界は居心地がよかった。自分だけを満たせばいい世界は、他人からの干渉も受けずにすむし、こちらから他人への干渉もする必要がなく、ラクだった。生きていく上での最低限の義務(勉強や仕事)だけを果たし、あとは思考停止してのんびりと二次元を消費して、日々を浪費した。それはそれで楽しかった。

 だけど現実の自分がカラッポだということに気づいてから世界は反転した。あれだけ楽しかった二次元にものめり込めない、リアルの自分は薄給の未婚独身で、心も体も美しくない。何より自分で自分を認められなかった。それが一番つらかった。何もしないを選んだのは他でもない自分だったのに、誰かや何かのせいにしないと心を保っていられなかった。怒りや憎しみは短期的には生きる力に取って代わる。行き過ぎれば燃え尽きて倒れる。

 マイナスな感情を抱えて生きたって、自分が苦しくなるだけなんだって、わかってしまった。それがすべてだった。自分への肯定は他人への肯定へつながるし、他人への肯定もまた、自分への肯定につながる。自分が生きやすいように生きればいい。

 3日分の便秘が解消して気分がいいだけなのかもしれない。明日から3連休だから浮かれてるのかも。

 それにしても今までの自分と、現時点での自分をくらべると、この現時点での自分が常人のそれと同じような感覚なんだとしたら、やっぱり過去の自分をメンヘラ認定せざるを得ない。

 感情がしんだというよりは、今までが情緒不安定すぎたんだろう。それはそれでおもしろかったけどな。

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