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生育歴とスキンシップの話

物心ついた時から生理的嫌悪感のない人とのスキンシップが好きだった。
自分より体の大きな男性と真正面からするハグも、悩みを聞いてくれた女の子の肩にもたれかかるのも、戦友と円陣組むのも全部同じくらい好き。男性はがっしりしていてそのまま沈み込みたくなるし、女の子は柔らかくていい匂いがする、年配の方に触れるとどこか芯の強さを感じて安心する。人間ってみんなあったかい…。
たぶん人より、周囲から若干引かれるくらいにはスキンシップが好きだと思っているのだけどそれについて割と真面目に考えてみたので備忘録として残しておきたいと思う。

わたしは地方出身の長女で、年子の妹がいる。
ありとあらゆる媒体で言われている「長女あるある」を冗談抜きで全て網羅しており、拗らせ長女選手権全国大会シードくらいの実力はあると思っている。
いい歳こいて未だに昔の家族関係についてグチグチ言っているのも正直恥ずかしいが、わたしは家族でしっかりとスキンシップを図った記憶が無い。仕事柄子どもと関わる機会がとても多いのだが、子どもとその保護者を見ていると「どうしようもなくなって泣いてしまったとき」「約束を達成できたとき」に抱っこされていることが多く、家族間のスキンシップを目の前にしても「どれも経験がないな?」と思ってしまうのだ。

わたしと妹は僅か1歳4ヶ月差で、母はワンオペで育児をこなしていた。移動の際は妹が抱っこされ、わたしは後ろでおんぶされているのが日常だったように思う。
また、母自身が肌と肌の触れ合いをあまり好まない人間だった。ほかの親子と同じようにだっこをせがんだり、足元に絡みつくと「かがらしいっ!(地元の方言-鬱陶しいの意)」と払われたのをよく覚えている。それから色々あって、成人してから一度母に泣きながら「してほしかったのにしてもらえなかったこと」を伝えてみたことがあり、そこからは母にくっついても特に何も言われなくなった。今でも帰省して、東京に戻る前に家の中で母の腰にしがみついて顔を埋めたりしている。(※書いているのはアラサーの女)

ここまで散々寂しがり屋の話をしたにも関わらず、スキンシップの気持ちよさを知ったのは高校生で初めてできた彼氏とカラオケでイチャイチャしたときである。なんだ、結局スケベじゃないかよ…。
所謂対面座位の姿勢で、狭いカラオケのソファで膝の上に乗って抱きつくのが大好きになってしまった。ぶっちゃけセックスなんかできなくてもいいと思った迄である。
暗黒期の10代後半〜20代前半を駆け抜け、今は自分の意思でヤリマンをしている立派なアラサーになってしまった訳だが、セックスの過程でハグがただの通過儀礼だと悲しくなる。申し訳程度のささやかなハグのあとに男性の手がささっと胸元に伸びると分かってないなあと思ってしまう。お互いハグが好きで、気の済むまで強く抱き締め合うのが一番気持ちいい。
ただ、「わたしは家族に触れて欲しかったんだ」とどのタイミングで気づいたのかは全く思い出せない。思い出せたらもう少し掘り下げて別の記事にしてみたいと思う。

大人になってからはセックスの場面以外でのスキンシップの機会が一気に減ってしまった。一応短大では福祉を専攻しており、現在も対人援助職の端くれをしているのでボディタッチの慎重さやバウンダリーについてしっかり考えるようになった。子どもに更衣の介助をするときも必ず「ここ触るね」と声をかけるし、どれだけ仲が良くても他人に対しては「触っていい?(ですか?)」と聞くようにしている。当たり前の話だが、セックスの同意はボディタッチの同意であり(もちろん例外もあるが)手っ取り早く人肌に触れる手段の一つである。本当は女友達でもお母さんでもいいのかもしれないのに。
もしかしたらわたしの目的は単なるスキンシップで、粘膜接触が付属品だと捉えている可能性もある。男性に膣や乳房を差し出す代わりにハグを手に入れている。性癖の擦り合わせはできても手を繋いだり抱きしめたりの比重がどれくらいかを話し合うことってあまりないように思う。多くの人が当たり前にすることでそれこそハードルも低くないように思えるがかける時間や触り方、気持ちの入り方など人によって全然違うのにな…

男性との対峙における当面の課題は「スキンシップがどれくらい大切か」を知ることかもしれない。自分の求めているものが手に入らないまま身体を差し出して少なからず傷をつけていいわけがないと思うようになってきた。(自分を安売りしないで〜〜〜という意味ではなく病気や望まない妊娠を避けるという意味での傷です。)性欲はそれなりに強いが自称人間好きでもあるので、この人を知りたい、深くまで理解したいという姿勢はこれからも大事にしていきたいと思う。


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