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へんてこ長男長女乳幼児期に私がしたこと

今まで長男長女の乳幼児期の様子について
書いてきました。
今でも二人はたくさんの問題抱えたままですが、それは私達大人だって同じだと思います。
問題ない人間など、世界にただの一人もいないと私は思います
長男長女は人より多い問題を抱えた問題児ではありますが、
一つずつ問題を乗り越えたり、
問題があっても問題にならない環境に恵まれたり、
自ら居心地いい環境に変える試みをしながら
何とか学校適応して、長男は去年の春、社会人として一人立ちしました。

そんな問題児の我が子達ですが、結果的に今時の

打たれ弱さ
自己肯定感が低い
繊細
プライドが高い
できないことで劣等感を感じる
まわりの目が気になる

などの特徴を持つ、多くの若者とは
全く違う人間に育っています。
具体的には、

立ち直りがはやい
楽観的、前向き
できなくても気にしない
根拠ない自信がある
プライドは最低限
まわりの目は全く気にならない

などなど。

その理由は私には分かりません。
因果関係を結び付けることができないのです。
あまりに突然子供達は成長するし、
本人達もかわろうと思ってかわったのではないらしく、
気づいたら変わってたというので。

我が子達は診断されるまでには至りませんでしたが、
下記のずば抜けた問題児の育て方という本に書いてあることと
私の育て方にはいくつか共通点があります。
診断されようがされまいが、その子自身とお母さん自身が向き合っていれば、おのずと育て方は分かってくることが多いと思います。
しかし、やはりお母さんのまわりにいる人達に
恵まれなければ、難しいこともまた事実です。
今は人との関わりが少なくなっているから、昔のようにはいかないかもしれません。

私は今、このような育児本や情報で答え合わせをしている最中です。
私が過去に育児で悩んでいるときは、こんな本あったのかなぁ?
我が子達は運命の人に出会ってくれてないなぁ、残念。けど私が知らないだけかも?
でも別に本人達は、毎日幸せに暮らしているので、どっちでもいいかなと思います。
みんながみんな、立派だとかずば抜けて素晴らしい人生歩みたいわけではなく、
我が子達は平凡な人生が一番幸せだという考え方です。
でもコンプレックスというか、子供の性格の欠点は事実として知らせたほうがいいと思います。
もちろんそこで終わりでなく、だからその欠点をどう捉え、人生に組み込んでいくのかを建設的に考えてもらうためです。
勉強嫌いの子に頭いいねぇとか言い続けると、本当に頭がよくなるというのは、
その子にポテンシャルが偶然あっただけだと私は思っています。
どうみたって勉強より運動が向いてる子に、そんなこと言い続けてどうなるのでしょう。
それでも本人が勉強やりたいと言えば、親は第三者として客観的な事実を子供に伝えて、
勉強しても結果が出にくい可能性について
伝えるのが良心的だし、現実的だと思います。
もちろん、それでもがむしゃらに夢追いかけるなら、応援しますけどね。

問題児は金の卵であるとはいえ、育て方を間違えればその才能の芽を摘んでしまいかねません。

では、問題児の才能が開花するよう、うまく育てていくためにはどうすれば良いのでしょう。

松永さんはその答えとして、次の8つのルールを掲げています。

1.絶対にコンプレックスを与えない
2.がまんさせるのではなく、おもしろがらせる
3.小学校時代はとことん遊ばせる
4.豊かな自然体験をさせる
5.内容にこだわらず、子どもがおもしろがる本を与える
6.ゲームやスマホを与える時間はできる限り遅くする
7.しつけは端的に。ある日突然「わかる」ときが来る
8.子どもの導師となる「運命の人」を探す

「ズバ抜けた問題児」の伸ばし方―ADHDタイプ脳のすごさを引き出す勉強法
松永暢史著

そこで、私が乳幼児期子供達にどのように接していたか、何をしていたかを書いてみたいと思います。
私は今時のお母さん方の大半と話が合わないので、
不快感を持たれる方もおられるかもしれません。
でも、これが我が家の事実です。

⚪育児に神経質だったのは長男一歳すぎぐらいまで、それからは適当育児に変更
⚪早期教育はしなかった
⚪自分の趣味に子供達を巻き込む→お菓子作りやテーブルコーディネート、カフェ巡り等
⚪お手伝いはできる範囲でしてもらっていた→玉ねぎの皮向きはその子の性格がよく分かる
⚪変な遊び方をしたり、常識外れな遊び方をしていても、まわりに迷惑かからなければ放置→シルバニアファミリーとプラレールを組み合わせたお人形ごっこなどの発想に繋がったと思う
⚪折り紙やお絵描き帳、セロテープ等消耗品についてけちったことはない→セロテープをたくさんぐちゃぐちゃに丸めたものを天井から吊るして飾っていたことがあるが、それは以前私がカフェ巡りでみたおしゃれな照明にそっくりだった
⚪読み聞かせしてあわよくば賢くなってもらおうと試みたが、子供達が絵本にあまり興味無しで途中で私が挫折→私は活字中毒、親と子は別
⚪ママ友親子たちとよく遊んでいた
⚪公園や児童館にほぼ毎日行っていた
⚪親子で身近な自然や芸術にふれあう経験をたくさんした→木登り、石垣のぼり、川遊び、ザリガニとりなど、危険なこともギリギリまで見守っていた、喧嘩したり怪我してもたいして心配しなかった、表面上相手に気遣うふりはしても所詮子供同士の喧嘩だから仕方ないと思っていた
⚪夫は私が怒りすぎると必ず子供達の味方をした
⚪夫は私の知らないところで
ジャンクフードやら駄菓子やら安いおもちゃ等を子供達に買い与えていた
⚪夫は家族サービスをよくしてくれた
⚪義父母は甘やかし役
⚪私は怒り担当
⚪畳んである洗濯物を自分でタンスなどに
片付けさせ始めたのは幼稚園入園後あたり
⚪家をボロボロにされるのは表面上怒るけど、本音では仕方がないと諦めた
⚪言うこと聞かないから他の家より子供に求めるレベルもおのずと低くなることを知ったのはこの頃
⚪親の躾で問題児はどうにかなるという人に我が子達を1ヶ月間預けて、あらためて感想を聞きたいと思ったのもこの頃
⚪過保護なことをした記憶はほとんどないが、私にとってどうしても譲れないことだけは過干渉になっていた
→片付けることと読み書き計算まではスパルタ式で何としてでもできるだけ毎日勉強させていた、本来読み書き計算までは徹底的な反復で小学校でやるべき派、でも賢い子はやらなくていい派
→別に悪いとは思ってない、まわりからあれこれ言われて悩んだ時期もあったけど、結局無視して正解だった

随時、思い出したら追加していきます。


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