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私の「誉めない」子育て

アラフォーバツイチのさくらです。

私の父方の祖父は地方銀行の元常務、父は大工さん、私は女医という、三代遡ると、異色の経歴です。

私は父から「でぇく(大工)の娘」って言われて育ち、ゆえに特に「継がなきゃ」とか、この職業じゃないとみたいなことはなく、自分で選んで今の道に進みました。

私には2人の息子がいますが、2人とも文系に進み、医者を目指すことはありませんでした。

私は息子に「こういう大学、仕事に就いて欲しい」とか、「親の言うことを聞いて欲しい」が全くなくて、ただ自由に自分の責任で人生を選択して欲しいだけが望みでした。

頑張りたいならサポートするし、頑張る方向も自由に決めて良い
頑張らないのもまた本人の自由


私はアドラー心理学が好きで、私にとって「嫌われる勇気」という著書は、人生のバイブルというべき3冊の本のうちの1冊です。

メインテーマがいくつかある中で

課題の分離
誉めない

があります。

課題の分離は、自分が影響を及ぼせる課題と、及ぼせない課題を分けて考え、自分の課題だけに注力するというもの。

私にとって子供の進学先や就職先は、自分の課題ではないと認識するので、サポートはするが、選択に首を突っ込まないスタイル。

金は出すが、口は出さない

を徹底しました。

ある意味、厳しいんですけどね。息子は今後の人生を「お母さんのせいだ!」って責任転嫁できませんから。物心ついた時から、自分のことは自分で決めなきゃならなかったんです、彼らは。

で、

アドラーの教えで重要な「誉めてはいけない」という考え方。

「子供を誉めるって絶対に良いことじゃん」と思うかもしれませんが、

「誉める」ということは、上から目線で良し悪しをジャッジしてますし、

親にとって都合の良いこと=好成績を取った
は誉めるというのは、子供を親の思い通りにコントロールしようという意図と切り離せません。

それに私には、

  • 「勉強は自分と、将来的に自分が貢献する他者のためにするもの」であって、親のためにするものではない。

  • 勉強をすると決めるのも自分。

  • 「親に誉められたい」程度の陳腐なモチベでは何も成し遂げられない。

というポリシーがあり、誉めませんでした。

その事について、長男に辛かったと言われました。

長男「お母さんに誉められたかった。」

と。

彼は「自分の頑張りの量や得られた結果が、お母さんの満足するラインに届かないから、誉めてくれないんだ。」と考えていたようです。

上記の説明をしましたが、いまいち、納得できないようでした。

長男はこうも言っていました。

「お母さんの息子だから、もの凄い高みを目指さないといけないんじゃないかと気負った時期がある。でも自分の能力では到達できないから苦しんだ。その点、次男くんは早くに『自分とお母さんは違う。』と良い意味で開き直り、無理のない歩み方をしていて、賢いと思った。」

私は「医者になれ」とか、「良い大学にいけ」とか一回も言ってないし、思ったこともないけど、それでも子供は自発的に気負うようです。

「医者になれ」というプレッシャーをかけられて育つ、全国の医者の子供たちは、本当に大変だと思う。

医学部受験は博打です

どんなに努力しても、両親が医者でも、無理な子は無理ですし、どんなに勉強しても合格できるかは運もあります。

多浪生は取らないので、チャンスは限られる。

私は医学部受験をすると決めたら、期間を区切って(3浪まで等)その間は全身全霊をかけ、それでダメなら、他の選択肢を取ると覚悟をして望むべきだと思います。

私は誉めない子育てを後悔していません。

いつか息子がこの意味を理解できる日が来たら良いな。

こういう抽象的な話もモリモリできるって、うちは仲良し家族やなと思います。


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