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スサノヲは女?表と裏の顔を持つ角神🐐

日本に馴染みの深いスサノヲ神、荒くれ物の神と知られる彼の素性は、バアル神からペルシャを渡って朝鮮の牛頭天王と伝わり、日本へやってきたとも言われています。バアル神は北欧からみたヤハウェ神という説がありますので、スサノヲは実はヤハウェ神の可能性もあるんじゃないかなと見てます👀

しかも、このスサノヲ。実はという説が…。
たかが神話でまさかとは思いつつも、戦いを司る女神の存在感が増してくるばかりなんですよね。

角神

ヨーロッパでは、角の生えた神は、三面の女神とされ、男性性の二元論的な部分と妻であり母性的な女性性を表すとされています。ちなみにケルト人が信仰するのはウィッカという角神です。

二元論というのは、二本の角が昼と夜、夏と夜、明と暗といった対称を表し、この2つの側面と女神の3面が合わさって五芒星でしばしば表されます。この五芒星の向きは様々なようです。


バフォメット


ウィッカの角神は「動物と野生の生命力エネルギーの化身」とし、角神は冬に生まれ、女神を産み、秋から冬にかけて死に、ユール祭に女神によって生まれ変わります。

一方で、角神の角は枝で描かれたり、太陽の光線で描かれたりと、さまざまな神の性質を精巧に統合したり、融合されたりする神でもあります。

ユングによると、一見、この神の姿は温和で叡智を備えた「毛むくじゃらな野生人」ですが、いつも同じ姿というわけではないようです。
なんらかの外的要因で(といっても霊界や精神世界の話なんでしょうけど)抑圧されたとき、「角神」は後に、黄泉(死者の世界)の主として現れます。黄泉から完全に分離すると、人間の精神性に暴力、薬物、性的依存を与えます。人間と統合されたとき、角神は男性性に「破壊性を所有する」自我を与え、女性性には肉体と精神の両方に影響するアニムスを与えます。

※アニムスとは、女性の無意識にある男性に対するイメージです。アニムスによって女性が意見を主張するようになります。悪く出ると「こうすべきである」という頑固で押しつけがましい主張(正義感)をすようになるが、良く出ると女性はより想像的に生きることができるとも。

状態によって神の性格が変わるというのは、なかなか珍しい考え方ですよね。似たような性質をもった神がいるようですので、もう少し見ていこうと思います👀

イシュタル女神

~メソポタミアの愛と性と戦争の女神~

メソポタニア信仰されていたイシュタルという最も重要な女神がいました。
この神もまた二元論的な神ともいわれています。ここでも女性です。
彼女もまた角の生えた兜を被って描かれることがあります。
メソポタニアは紀元前3200年頃から紀元前331年にペルシャ帝国が滅亡するまでの間、シュメール人、アッカド人、バビロニア人、アッシリア人などの文明がチグリス川とユーフラテス川の間に居住していました。
しかし、初期の頃は、シュメール人に「イナンナ」と呼ばれ、後にアッカド人、バビロニア人、アッシリア人によってイシュタルと呼ばれるようになったそうです。奇妙なことに時間の経過とともに1つの存在に統合されたと考える学者もいます。

イシュタルは、主に愛と戦争の女神として崇拝され、セックス、豊穣、政治権力など、これらの領域と関連していました。
愛と戦争があまりピンときませんが、セックスと戦争でしたら、おそらくこれでしょうね。

古来より戦争には兵士による女性の強姦が付き物であり、陥落した城塞、征服された民族、捕虜となった少なからぬ女性は(戦った兵士への褒美や敵への見せしめという意図もあり)強姦の対象になった。最も有名なのはモンゴル帝国の創始者チンギス・ハーンとその係累・後裔であろう。帝国による降伏勧告を受け入れず抵抗の後征服された都市はことごとく破壊・略奪・殺戮され、女性も戦利品として王侯・軍隊などの権力者以下にあてがわれた。 世界各地の男性のY染色体を調べた結果、かつてのモンゴル帝国の版図に高率で共通の染色体が検出されたという話さえある。

wikipediaより

強姦の歴史 - Wikipedia

戦争には女性が戦利品であることが、どの時代どの国にもつきものでした。
もちろん、日本もそうです。倫理的に肯定はしてはいけないことは間違いないのですが、混血とは言えども戦争によって自分の民族の血統を増やすことができたことも勝者の恩恵ではあったのでしょう。

相反するイシュタル神の性格

女神イシュタルが登場する最も有名な神話のひとつは、夫ドゥムジ/タムズの死が中心となっています。興味深いことに、ドゥムジの死には2つのパターンがあります。ひとつは、羊飼いの神が盗賊に殺され、イシュタル(この神話ではイナンナと呼ばれる)が彼の死を悼むというもの。別のパターンでは、イシュタルは冥界に下り、妹のエレシュキガルに殺されます。しかし、イシュタルは彼女の代わりにドゥムジを生贄として捧げることで、彼女の復活を画策し、生者の世界に戻ることができました。

イシュタル女神が登場するもう一つのメソポタミア語で書かれているギルガメシュ叙事詩は、イシュタルはギルガメシュに興味を持ち、彼の妻になることを申し出ます。しかし、ギルガメシュはイシュタルの誘いを断り、女神を侮辱し、イシュタルノせいで以前の恋人たちを恐ろしい運命に導いたと非難します。ギルガメシュの拒絶に怒った女神は、王を殺すために天の雄牛を送り込み、最終的にギルガメシュの最も親しい仲間であるエンキドゥを死に至らしめます。

イシュタルは、愛と女神のはずが、結婚を拒んだギルガメシュを殺すために天の雄牛を送り込んだり、他のメソポタミアの神々から神の力を盗んだり、自分が自由になるために恋人のドゥムジを冥界に閉じ込める醜い心を持つ女神に一転するのです。

いったいこの神は、悪神なのでしょうか?それとも善神なのでしょうか?
きっと、多くの方はどちらかが間違っていると指摘するでしょう。
いいえ、そうではありません。どちらも神そのものであり、これは神の善の面と悪の面の両方を含んでいます。しかし、時代によってこの神の二面性が分離した。それがこの約2000年ほどの物質世界の時代で起こっていたことです。
霊界物語を書いた出口王仁三郎が言っていたように神の力ではどうしようもできないことがあります。それが時節です。時代を区切りにした時の節によって、なんらかの高次の意識が変容しているのでしょう。おそらく、ある年代を区切りにして、人間の集合意識が変容を繰り返しながら分離、統合を繰り返しているのでは?と推測しています。

調整期と覚醒期でみるヌーソロジーとシュタイナーの類似点 | Noos Eggs (cosmolifeology.com)

その証拠にこれだけ多様性のあるイシュタル神に対して、時間の経過とともに1つの存在に統合されたと考える学者がいるわけです。また、今の時代はジェンダーレスという言葉が出てきたものの男性と女性が分けられていますが、かつてのイシュタルの信奉者たちは、社会的境界、特にジェンダー的役割に関する境界を無視したり、再定義しました。ガラとして知られるイシュタルの祭司となった男性は、時には性別にとらわれない役割を引き受け、女性の服を着、同性愛に従事することも許されたとあります。ちなみに出口王仁三郎は女の格好をしていたことで有名ですね。


女装した出口王仁三郎

さらに出口王仁三郎は神社付属の稲荷講社を官の認可をもらって開設した長澤翁によって審神というどのような神がかかっているかという判定を次のように受けています。

審神は直々におこない、喜三郎(出口王仁三郎)は高等の神がかりと鑑定される。喜三郎にかかる神の名は、小松林命という。これは素戔嗚尊の分霊といわれている。その神様が喜三郎に霊的感応を与えておられる

『巨人 出口王仁三郎』by出口京太郎

(偶然にも素戔嗚尊の名前が…!!)

ジェンダーの時代の流れを見ていると、いつかの時代に戻っているように見えますが、神の分離➡統合➡融合の信仰の元で、もう少し砕けて表現すると、切り離され、くっついて、溶け合うことで人間は時代という時間軸の中で繰り返しながら変容をし続けてきました。
終末とささやかれる今ですが、分離した不完全なものを完全であると見なし、空虚なものを信仰しすぎている結果ではないでしょうか。どうしても人間は、真理や正解を求めようとしますが、何を得るにしても不完全であることを十分に理解しなければいけません。そして、その都度得られる不完全なものとは、今に生きようとする私たちにとっては必要なものなのです。

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