2023年、東芝ブレイブルーパス東京でのキャリアを終えたマット・トッドはその輝かしいキャリアに幕を下ろした。常にハードワークを続け、周囲に慕われ続けたタフガイが次に選んだ道は指導者としてのキャリアであった。
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マット・トッドがクルセイダーズの選手としてデビューしたのは2011年のことである。イーデン・パークでのブルーズ戦が初陣であった。本来であれば7番FLはリッチー・マコウが担っていたが、マコウは足の手術から回復中であり、その代わりにトッド・ブラックアダーHCは22歳のマットを7番FLとして起用し、ボールハンターの役割を与えた。
※参考:マット・トッドのクルセイダーズデビュー戦(ハイライト)
リッチー・マコウというレジェンドと同じポジションであったが、マット・トッドはデビュー以来、愚直にハードワークを続けた。マコウがサバティカルで休養を取ったり、ケガなどの理由で出場できない期間もあったので、その間はマット・トッドがプレーを続けた。
その結果、2014年開幕時にトッド・ブラックアダーHCはマコウではなく、マット・トッドが7番FLのファースト・チョイスとして考えるようになった。これはマコウが6番FLやNo.8でもプレー出来るということも理由であったが、マコウとしては7番でのプレーを希望していたようである。
さらに翌2015年、マット・トッドはクルセイダーズのキャプテンに任命される。
その後、3度の優勝を含めてクルセイダーズでの輝かしいキャリアを歩んだマット・トッドは2019年のW杯日本大会後にブレイブルーパスへ移籍することになる。
マット・トッドを招いたのはやはりトッド・ブラックアダーHCであり、ロールモデルとしての役割も期待してのオファーであった。そして2023年までブレイブルーパスに献身的に尽くし多くのレガシーを遺し、キャリアを終えたのである。
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マット・トッドはクルセイダーズへのコーチ就任にあたって以下のコメントを残している。
マット・トッド、彼の素晴らしい人間性と高い能力、姿勢、そして(彼自身の言葉を借りて)幸運、これらが合わさればきっとこれからのキャリアもより素晴らしいものになるだろう。
彼が見出した若手たちがSuper Rugbyやテストマッチ、W杯で活躍する日が来るのもそう遠くない未来かもしれない。(了)
※今回の記事は以下の記事を参考に作成しました。