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最近ペルソナという言葉を意識するようになった
ユング哲学に出てくる「仮面」の意味
状況によって周囲へ適応するために
内面を一部を抑圧し、見せたい自分を表に出すこと

それに並ぶように
「シャドウ」という言葉もユング哲学では重要だそうだ

シャドウとは文字通り影
人はペルソナを形成するときに
一部の自分の可能性を切り捨てる
その切り捨てた可能性が「影」となって
自分の背後を付きまとうそうだ

言葉だけでいっても難しいだろう
少し、例え話をしてみると

私の身近なところでお話をさせてもらうと
大学サークルでお芝居や創作活動に精を出していた
将来はその道で食べて行こうと考えるくらいに頑張った
しかし、卒業のタイミングで自分の将来を考え
別なお仕事、例えば公務員などのお仕事に就いたとします

この人は公務員という
アイデンティティとペルソナを手に入れたことになる
それと同時に創作者としての可能性を切り捨ている
この場合
もし創作者になった世界線の自分が「影」として付き纏い
仕事でうまくいかなかった時、
挫けそうになった時にその影が
「やっぱり、創作をしていればよかったかも」と囁きかけるのだ
(逆のパターンも然り)

これは性別でも言えることらしい
男性である事は、女性ではない
女性である事は、男性ではない ということ
逆の性の一面を抑圧している
しかし、人には無意識の中に逆の性の一面を持ち合わせているので
その一面が夢の中などに現れるそうだ
(これをシャドウではなくアニマ、アニムスというらしい)

私は〇〇だというペルソナは同時に
私は〇〇ではないというペルソナになれなかったという影を持っているのだ

最初の例えのように
この影は負の感情と共に現れることが多いらしい
カフェで執筆をしていると
ご婦人がたの井戸端会議やギャルの噂話が耳に入ることがある
そこでたまに
「〇〇さんてこういうところあるわよねー」
「××まじでありえないんだけどー」と
いわゆる陰口、悪口を話していることがある
この陰口の中にシャドウが現れるようだ(まさに影口??)

ペルソナになれなかった別世界の自分がその言葉を言わせているとのこと
「あの人は本当に自分勝手」と言うなら
その人は
自分勝手に振る舞う自分を抑圧している
その結果、自分勝手に見えるその相手を
無意識の内に羨んだり、妬んでしまう
「自分ができないのにどうしてあの人はできるの?」と
考えてしまっているらしい

人の陰口はよくないこと
それは人を傷つける行為だから
そう学んできたが
同時に自分のコンプレックスをひけらかしていることになるだろう
やっぱりよくないことですね

では、私のシャドウはどんな姿で現れるか
私は、社会人になることも、演劇人になることも捨てられなかった
両方の道を選んだが
逆に言うとどちらかに専念する可能性を捨ててしまったでしょう
だから、仕事でうまくいかないと
「はぁ、もし演劇をしていなかったらもっと出世ができていたのかな」
演劇で後輩が成功したら
「もし、仕事をしていなかったら自分も彼ら以上の活躍をしていたのかな」と
両方の面でシャドウが現れることがある

自分語りになってしまうが
もう少し奥底に潜む影がある

ちょうど、昨日の投稿にあげた
「偽善者」と言う言葉だ
私は幼少期に「いい子でいる」という仮面をかぶってしまった
その仮面を取ることができず
人からは「偽善者」と呼ばれ
人間味のない「ロボット」だと家族や友人から揶揄されたことがある
自分の中に深く刻み込まれたこの言葉たちは
「自由に行きたい」、「人間らしく」生きたいと言うシャドウとして現れる

こうして考えると
このシャドウが私の創作意欲の火種になっているのかもしれない

初めて自分の影と対峙してみた
少し心が暗くなるが
同時に自分の中の松明を見つけることができた

私は今
人間らしく生きているだろうか
偽善者から善人になれる日が来るのだろうか
松明の明かりを頼り進んでいくしかない

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