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この世には"等価交換"の法則が働いている

皆さんこんばんは♪

今日は"等価交換"について話をします。



まずは、
私の経験から話すと伝わりやすいと思うので先に話します。

1.前置き


私は大学1〜2年生の時は、
授業をサボりがちでバイトor遊んでばかりいる学生でした。



将来のことも含め本当に何も考えていない学生です。



留年になるギリギリまで単位を落としましたが、何とか3年生になれました。



気持ちを切り替えて授業を受けようと決意するのですが、
この年はコロナが発生した年だったので、
授業がリモートになり期末テストもないケースがほとんどだったため、
授業に出席すれば単位を貰える始末。


結果的に卒業するのですが、
この流れは私が大学4年生の後期まで続き、
正直なところ半分以上は「コロナ」のおかげで単位を取れたようなものです。



今、私はアルバイトをしながらライターとして活動しているのですが、
大学生の時の時間の使い方に対して、すごく勿体ないことをしたなぁと感じています。



今の私の脳内のまま、
大学生時代の自分に戻れるなら絶対に過去と同じような時間を過ごさないです。



何故なら、
いまこの瞬間にも今日お話する"等価交換"の厳しさや残酷さを感じているからです。


2.等価交換について

等価交換とは一般的に、
土地の売買や不動産・デベロッパーの世界で語られる概念です。


ビジネスの世界で等しい価値同士のモノが、
取引・交換されるというのはイメージしやすいと思います。



一般消費者である私たちが普段の生活で買い物をする時にも、
購入するモノやサービスの価値と同等の金銭を払い、そのモノやサービスを得ます。



その払った分の金銭は勿論手元から無くなり、
そして、手元から出ていった分を稼ぐために私たちは仕事をします。


今日私が伝えたいことは、
このごく当たり前とされる等価交換の仕組みは、
何もビジネスの世界だけに限った仕組みではなく、
私たち1人ひとりの『人生』においても全く同じ仕組みが適用されるということです。

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調べたところによると、アニメ『鋼の錬金術師』には次のようなセリフがあります。

"人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。何かを得るためには同等の対価が必要になる"

アニメ:鋼の錬金術師より

このアニメの主人公は、
幼い頃に亡くした母親にもう一度会うため、禁忌とされていた「人体錬成」を弟と行いますが失敗し、主人公は右腕を弟は全身を失います。

私の場合ですと、「何か」を得ようとするために敢えて授業をサボって遊んでいたわけではなくただ時間を無駄にしていただけですが、
結果的にそのような「今さえ良ければ」という考え方で過ごしたために、そのツケを今現在払っている段階です。



「時間を無駄にするような過ごし方」をしたので、それに応じた現実(結果)があるわけです。



これは単にお金という面だけではありません。
私は卒業後は会計事務所に入社し、その後給料もそこそこ良い、従業員1000人弱の中規模の会計事務所に転職出来ています。



しかし、私はその会計事務所を辞めてしまいました。
全くもって自分のやりたい事ではなく、自分の過ごしたい時間を過ごしていないと感じたからです。


つまり、大学生の時に将来のことについて考えていなかったし、世の中や社会のことについて全く勉強していなかったため、
"舗装された歩道"を歩くことしか考えていなかったのです。
というより、そのような道しか知らなかったのです。



自分はこの先どう生きていきたいか、
どんな価値観を大切にして生きていくかなど考えず、自分と真剣に向き合っていなかったので無味乾燥とした時間(現実)を過ごしたのです。


これは、「もし私が過去とは違う生き方をしていれば全て上手くいって成功している」というような単純な話ではありません。



等価交換とは言いましたが、
鋼の錬金術師の主人公のように"原因と結果"がすぐに明らかになるわけではないと思っています。
また、時間差もあるでしょう。


私は大学生時代の過ごした方のツケがを2〜3年遅れて払っているわけですから。
それに、自分が未だに自分の人生と向き合わず舗装された歩道を歩き続けていたとしたら、
今払っているこのツケはもっと大きくなって後々自分の元に降りかかっていたと思います。


3.では、どのように生きていけばいいのか


私の考えですが、
等価交換の仕組みを理解してより良く生きていきたいなら、
今自分が生きている中で"楽"をしていることはないか、見極めることから始めると良いと思います。



これは広い意味での"楽"です。
例えば、未来について楽観的な人がいるとしましょう。



この人は自分のいる業界や会社が安泰で、生きている間に大きな変革は起きないだろうと思っています。
そのため、自分の成長に何も投資せず自分の外側にあるものに生活の全てを支えられて生きています(「隷従された自由」、常識や社会通念、規定された枠組みの中で生きていて蛸壺化した社会に完全に身を任せている状態)。
ですが、想像を超えるAIやロボットの進展のせいで勤めている会社及び業界全体が衰退してしまう、ということも十分考えられるでしょう。




新しい時代にあった生き方を求められているのに、これまで全く何の準備もしてなかったため対応できず、楽をした分のツケを払うことになるわけです。


楽観的なこと自体が悪いわけでなく、何の準備もしていないことが問題なわけです。
つまり、「今さえ良ければ」という精神で日々を過ごしていると私と同じように必ずどこかでその分のツケ(苦労)を何らかの形で払うことになるでしょう。
それは、単に「お金」では解決出来ないことも含まれています。



本当に自分の人生を生きて本当に幸せになりたいなら、その分何らかの"犠牲"が必要でしょう。これは広い意味での犠牲です。
また、自分の人生に全責任を負うことも必要です。


自分自身に「時間とお金」を投資をして勉強する。勿論、その分遊びに充てられる時間は減ります。
だけど、その勉強の質や量に応じてその人の人生は色々な意味で豊かになります。




また、幸せな人生を送るのに健康な身体も必要です。普段の食事や生活習慣の積み重ねが、健康を左右します。


あなたの他人に対する普段の接し方が人間関係を左右します。
長年生活を共にしている配偶者に対し、慣れた関係だからと言って、優しさや気配りがなければその分のストレスを相手に与えます。


「お金」を愛した人間、お金に目が眩んだ人間はその分何かを失っています。
また、お金の洗脳にどっぷり浸かっている人間も然り。
お金を持ってる奴が偉いとか、経営者だから偉いとか、お金で全てを変えられるとか…。

霜月やよいさんのTwitterより抜粋


何かを得るために人は必ず何かを犠牲にしないといけません。
犠牲なしに何かを手に入れられるなんて嘘です。
よーく観察すると、自分の内面にある思考や観念、価値観、時間の使い方を含めて、人は必ず何かを捨てて新しいものを得ています。


「今さえ良ければ」という考えがあるなら、その考えに基づいた時間の使い方はやめて、自分の人生をどう豊かにしていくか考えて行動することを推奨します。



この世は『等価交換でできている』ということを忘れないようにしたいですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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