8月15日によせて

毎年どこかしらに書いていますが、父方の祖父は戦死しています。 うっかり昨晩アップし忘れて8月16日になりましたが、改めて。

祖父の戦死は昭和20年1月26日、「フィリピン方面」にて。階級は上水=上等水兵です。祖母は「お骨も返ってこないので、本当にそこで死んだのかもわからない」 「かなり遅くなってから徴兵されて、すぐ戦死した」と言っていたそうです。いったん除隊して、もう大丈夫と思っていたところ、再度召集されたのかもしれませんが、そのあたりはもう知る人がいません。

35歳で未亡人となった祖母は、父と叔母(父の妹)を育てながら、雑貨屋を始めました。小中学校が近くにあり、また、当時は旧市街の中心地は人口も多かったのは幸いでした。和裁の才があったので、それと並行して仕事としていたようです。それに加えて遺族年金がありました。遺族年金は、生活が十分成り立つくらいの金額だったはずです。

雑貨屋は、文具や駄菓子だけでなく、ボタンや糸などまで売っていました。近所の人が仕入れてくれといったものは仕入れていたのでしょう。昭和56年に家を建て替える際、大量の「ひとつだけ売れて、ほか全部売れ残り」という箱が山ほど出てきました。4Hの鉛筆とか微妙な数のボタンとか。昭和50年代末頃までは、祖母がその店番をしていましたが、やがて母に変わり、そして祖母が亡くなった平成16年に閉店しました。

ふと、もし祖父が生きていたらどうなっていたかということを、今日の今日まで考えたことがなかったのに気づきました。生きていたら、どうだったのでしょうか。もっと戦争の話を聞けたでしょうか。また、5歳で実父を亡くすことになった父の人となりもきっと違っていたでしょうし、親戚づきあいも違っていたでしょう。結婚して、舅(戦死した祖父)がいる家に住むことになる母の気持ちもまた違っていたでしょう。

いろいろなことに考えを巡らせます。こういうことは、毎年同じことを書くかもしれませんが、それでもいいと思っています。なお、父方の祖母、母方の祖父母は戦後、長らえました。 すでにみんな鬼籍に入っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?