磯部祥行

ちょっと長いテキスト、『轍のあった道』http://tenere.blog.shino…

磯部祥行

ちょっと長いテキスト、『轍のあった道』http://tenere.blog.shinobi.jp/ の「記憶」に類似したものを置こうと思います。@tenereisobe @jn_isobe

最近の記事

右膝日記 20191227

12月27日(金)。今日もシャワーののち、診察。「順調ですね」ということで、半抜糸。半分だけ抜糸する。そういう処置は初めて聞いた。 足下で、眉毛カットハサミみたいな、先が曲がったハサミで糸を切っていく。なぜか最後の1本が痛かった。 膝の傷も腿の傷も、しばらくは軟膏のみ。いまは膝と腿が気になってうまく歩けないので、身体のバランスをとりつつというか、「まっすぐ普通に」を意識して、腰を傷めないように歩こう。 午後は仕事。仕事している間に、退院時刻が近づいてきた。15時20分こ

    • 右膝日記 20191224~1226

      12月24日(火)。クリスマスイブ。ぼく自身は「包帯巻き直し」以外なにもない日。 病院食は4週間でローテーションになっていることに気づいたので、今晩はカレーのはず。しかし、クリスマスイブということで特別メニューとなり、ビーフシチュー、そして小さなケーキがついた。 この日の夕食時、同僚が見舞いに来てくれたので、同じフロアの食堂(談話室も兼ねる、広いスペース)にいて、そこで夕食をとっていた。すると、「メリークリスマス!」という声とともに、トナカイに引かれた車イスに乗ったサンタ

      • 右膝日記 20191219~1223

        12月19日(木)。母が新潟から日帰りで来てくれた。病院のみの往復。3時間くらい滞在して、一緒にお昼ご飯を食べた。ぼくのために鰻弁当を買ってきてくれた。ありがとう、母ちゃん。。 ちょうど母が来たタイミングで形成に呼ばれる。腿のガーゼとテープを取り、少し小さいパッドに変更。ずいぶん右足付け根が楽になる。 12月20日(金)。とても暖かい日。Tシャツ短パンでひなたぼっこ。包帯は毎日巻き直しに。 12月21日(土)。午後からバイクの古い友人が二人、それぞれ別々に来てくれる。1

        • 右膝日記 20191213~1218

          12月13日(金)・14日(土)・15日(日)は、とくになし。リハビリとして近所を散歩などして。 16日(月)10時、入院。尿検査と、翌日に備えてのシャワー。そして麻酔科医による麻酔の説明だ。全身麻酔か脊椎麻酔(下半身麻酔)かの選択。脊椎のほうが軽いのだが、2時間強におよぶ手術、その感触を感じ、音を聞きながらのことを想像するとトラウマになりそうで、全身麻酔を選択した。 17日(火)。8時50分、手術室へ。まずは入眠のための薬剤を点滴される。手足に強い「眠る寸前の気持ちよさ

        右膝日記 20191227

          右膝日記 20191208~1212

          12月8日(日)。16日ぶりに自宅のふとんで寝た。病院の規則正しい生活に慣らされ、7時にはぱっちり起きる。午前中が長い。 日中は、もともと、基本的にリビングのダイニングテーブルのイスに座っているのだけれど、リハビリとして右膝をときどき曲げる。たまにピリッと痛みが走る。 夜、風呂に入ろうとしてズボンを脱いだら、包帯にけっこう血というか浸出液といか、染み出していた。膝を曲げたときに貼ってあるシートがズレ、傷口(基本的に乾いているのだけれど)が包帯に触れたり、包帯ごとズレたりし

          右膝日記 20191208~1212

          右膝日記 20191205~1207

          12月5日(木)。朝、部屋によっては日の出が直撃する。ぼくの部屋は朝日も夕日も入らないので残念なのだが。朝、フロアを一回りした。ナースステーションの前の非常口の向こうから激しいまぶしさが差し込んでいた。 この日、形成の医師のところで処置。そして植皮の手術の見通しを聞く。医師いわく「肉芽の生成は、もうちょっとがんばってほしいところ。ただ、もう3週間も右足を水平にしている。関節はすぐ動かなくなる。実際、90度くらいまでしかまがらなくなっている。もう創部はレナシスつけなくてい

          右膝日記 20191205~1207

          右膝日記 20191201~1204

          12月1日(日)。朝、下痢だったことを看護師さんに言ったところ、また検査するというが、この日はもう出ない。個室の景色はいい。 12月2日(月)。結局、まだ個室にいることに。 午前中にシャワーし、今度は形成の医師に診てもらう。肉芽、生成されている部分と壊死している部分があり、いずれそれがはっきり別れ、壊死した部分はペリペリはがれるようになるとのこと。壊死している部分を除去。痛い…。 夜、やっとトイレに。下痢ではない。薬のせいだろう、臭いが独特。 12月3日(火)。昼には

          右膝日記 20191201~1204

          右膝日記 20191129~1201

          以前、会社関係のパーティーで、すごい肉を食べて、その脂のうまさに感動し、もう1枚食べ、それで夜に腹痛となったことがある。11月29日(金)夜、差し入れの角煮を「多いなー」「油すごいなー」と思いながら食べたら、まさにそれになってしまった。胃もたれと鈍い腹痛。 夜中、看護師さんにそれを話したところ「院内にノロと胃腸炎が多く出ている。その可能性も捨てられない」と言われる。いや、おれのは、胃からの臭いでも、角煮…。 11月30日(土)、朝から腹を下した。かなり消耗する。食欲はない

          右膝日記 20191129~1201

          右膝日記 20191126~29

          11月26日(火)。右足の包帯に包まれた部分に発疹がある。かぶれのような。そこだけでなく、左手の点滴留置針関連一セットを巻いてるゴムのところも。たまに汗とかでかぶれるからな…と思いきや、なぜか右腕と首も少し。あ、腹部も少し…。留置針を左手から右手に切り替え。この日は点滴のみ。 夕方、外の空気が吸いたくなって、2階救急出口から外に出てみた。そうか、ここに着いて搬入されたのか。20分くらいいた。 夕食、軽いとはいえ0.7食分くらいはあって、さらに1階の食堂で食べると多すぎると

          右膝日記 20191126~29

          右膝日記 20191125

          11月25日(月)。昼食が終わったあと、唐突に「シャワーします?」と言われた。「処置の日じゃないとシャワーできないので…」。えっ、シャワーできるの…? 「診察の前、13時30分からできます」。シャワーができると思っていないから、シャンプーとリンスはあってもボディシャンプーがない。1階の売店に石鹸を買いに行く。慌ただしく準備。 脱衣所で、点滴の留置針をビニールで覆う。膝のレナシスもオフにし、管を途中で外してフタをしてしまう。包帯をはずすと、フィルムに覆われた区傷口。これらは処

          右膝日記 20191125

          右膝日記 20191122~24

          11月22日(金)の術後。車イスでどうトイレを使うか看護師さんに教えていただく。初めて知ったのだが、車イス用トイレは、右左があるのだ。 私は右足を水平に固定されているので、着けるのは左足。なので、上の図の左の形のトイレに入る。車イスから伸ばした右足を真正面の壁のつけるくらいで停めると、ちょうど便器の前に左足を着くことができ、90度右回転すれば座れるのだ。もし右の形のトイレに入ると、伸ばした足が邪魔で90度左回転はちょっと面倒。 さて、少し尾籠な話。 右足を水平に伸ばした

          右膝日記 20191122~24

          右膝日記 20191122

          【注:後半に、膝にパッドがついている画像があります】 この日は採血があった。予約票を見ると、受付すると10時以降に採血、と読めるよね。ところがこれが違っていて、「事前に採血して、10時に診察」だった。説明なしにわかるか…。おかげで相当に待ってしまった。診察は12時を過ぎた。 炎症が見られるようなら入院かもね、治りによっては手術しますよ、と主治医には言われていた。清拭は前日の「代理の医師」と違ってすぐ終わった。そして「手術しましょう。そのまま入院しましょう」ということになっ

          右膝日記 20191122

          右膝日記 20191118~20191121

          11月18日(月)。通院なし。この日は自主的に安静に。まだ疲労は大きく、多少の仕事のやりとり以外は寝ていた。念のため、この日も風呂入らず。 11月19日(火)。通院日。自宅から病院まで5kmほど。タクシー配車アプリで調べると1700円+迎車料。決済に進もうとすると「時間帯割増980円」、つまり合計3200円くらいになる。往復で5000円。ちょっとなー、と思い、自分でクルマを運転して行くことにする。 処置しやすいように、短パン。この迷彩の短パンは97年頃に買ったSMPのもの

          右膝日記 20191118~20191121

          右膝日記 20191117

          (ご注意:傷の描写があります) 2019年11月17日朝。この日は久しぶりに友人たちとバイクツーリングに行くために家を出た。上は古い風魔のランドクルーザージャケット、つまり冬用のバイク用ジャケット、下はタイツの上にジーンズ。足下はティンバーランドのブーツ。近所で給油して家から2.5km、いつもの幹線道路の交差点。右折矢印が出たのでそのまま入る。特に理由はない、交差点中心あたりでちょっと多めにバイクを傾けた。たぶんアクセルも開けたこれがいけなかった。 後輪が滑った。一瞬

          右膝日記 20191117

          8月15日によせて

          毎年どこかしらに書いていますが、父方の祖父は戦死しています。 うっかり昨晩アップし忘れて8月16日になりましたが、改めて。 祖父の戦死は昭和20年1月26日、「フィリピン方面」にて。階級は上水=上等水兵です。祖母は「お骨も返ってこないので、本当にそこで死んだのかもわからない」 「かなり遅くなってから徴兵されて、すぐ戦死した」と言っていたそうです。いったん除隊して、もう大丈夫と思っていたところ、再度召集されたのかもしれませんが、そのあたりはもう知る人がいません。 35歳で未

          8月15日によせて

          豊かさ

          20年以上前、100円で買えるインスタントやレトルト食品はほとんどなかった。カップヌードルやククレカレーが100円になっていると、買いだめしておくものだった。もちろんスーパーの特売での価格である。(東京都心部のスーパーにはかなりの価格差があることはある。例えば1995年、杉並区のスーパーで卵が1パック160円だとすると、早稲田では250円くらいで、200円を切ることは皆無だった) 90年代後半、道の駅がぽこぽこ増えていった時代、休憩室を備えた建物ができはじめた。シュラフひと