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セカンドライフは、行為の価値化と炊事・洗濯・掃除のルーチン化で変わる!

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
先日、藤原智美著「この先をどう生きるか」という本を読みました。
智美という名前なので、女性だとばかり思っていたのですが、途中で、巻末のプロフィールを見て、男性だと知りました。

まぁ、それは瑣末な事なのですが、この本の結論が、毎日の家事(炊事・洗濯・掃除)をルーチン化し、身体で覚える事が、セカンドライフを乗り切る大切な手段であると書かれていて、目からウロコが落ちるような気分でした。

主婦なら、誰でもやっている事ですから、女性に取って、セカンドライフの敷居は、男性より格段に低いわけです。
だから、女性の方が男性より長生きするのかもしれませんね。

それに独身男性も、家事に関しては、ある程度やり慣れているので、セカンドライフに入っても戸惑う事は少ないと思います。
ただ、外食に頼ったり、ましてや、お手伝いさんなどを雇える裕福な人は、現役を引退してから家事をルーチン化するのは厳しいかもしれません。

しかし、藤原氏は、あえて禅宗の教えを基に「家事」という行為が大切であると解いています。
また、氏は、現役時代の「目的の価値化」から幼少期の「行為の価値化」にシフトせよ・・・とも言っています。

これはどういう事かと言うと、現役時代は、どうしても「結果」を重視し、過程を軽視しがちだったけれど、セカンドライフに入れば、結果=目的は、それほど重要では無く、そこに至る行為こそが重要だと言う事です。
そして、人は幼少期、行為そのものに熱中し、楽しんでいたではないか・・・と。

確かに、セカンドライフを生きる上で、目的(結果)の重要性は、あまり無いかもしれません。すでに人生の目的は、たいがい達成しているわけですから。
もちろん、全ての人が悠々自適なセカンドライフを送っているわけでは無いので、生きるために働かないといけない・・・という人には、生き抜くという目的はあるわけです。

しかし、多くの人に取って、趣味やボランティア活動、地域活動など、目的や結果よりも、その活動自体に意味があるという場合が多いのも事実です。
そもそも、生きる事自体が、壮大なる暇つぶし・・・と、心理学者のアドラーは言っているくらいですから、目的や結果なんて言うものは、本来、意味の無いモノかもしれませんが・・・。

とにかく、セカンドライフに入ったら、「目的の価値化」から「行為の価値化」に考え方をシフトする事が大切だと、氏は言っています。
私も、この考えには共感を持ちました。
そして、「行為の価値化」は、そのまま前述の「家事」にも当てはまるわけです。
毎日の食事、洗濯、掃除という行為に価値があるという事です。

その他、藤原氏は「ナラティブ・アプローチ」という心理療法を例に出して、赤裸々な「自分語り」を推奨しています。
しかし、通常「ナラティブ・アプローチ」には、カウンセラーの存在が欠かせないので、一般の人は、ノート(パソコン)に自分の過去を書き出す事で、現役時代からセカンドライフにリセット出来ると言っています。

自分の過去を赤裸々に見直すと言うのは、ちょっとよくわからないのですが、要は日記を付けるという事と理解しました。
但し、氏が言うに、ブログや SNS など、他人の目を気にしなければならないモノでは、少なからず自分を飾ってしまうので、あまり意味が無いそうです。

この作家は、10年くらい前に「暴走老人」と言う本でベストセラーになっているそうですが、私は知りませんでした。
でも、この「この先どう生きるか」という本は、セカンドライフのポジティブな面である旅行や趣味にスポットを当てるのではなく、「毎日の暮らし」に重きを置いている点が評価出来ると思いました。

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