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「死ぬまでにやりたい事リスト」を考えても、何も思い浮かばない!

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
誰かのブログに「やり残したことは時間が出来てもやらない法則」というのが書かれていて、なるほど・・・と感心しました。

しかし、自分は一体何をやり残しているだろう?
・・・ということで「死ぬまでにやりたい事リスト」を考えてみたのですが、何も思い浮かびません。

えっ?
自分でもちょっと驚きました。
何も思い浮かばないのです。

いやいや、何かあるだろう・・・と頭を振り絞ってみても、特にやりたい事が出て来ないのです。

今の人生に満足しているわけでも無いし、これまでの人生を後悔して無いわけでもないのですが、取り立てて、これから何かやりたい事はないかと考えても、何も思い浮かばないのです。

何か特に欲しい物があるわけでもないし、どうしても行ってみたい場所があるわけでもないし、どうしてもやってみたい事があるわけでもない・・・。

これって普通の事なんでしょうか?
もしかして「死ぬまでに」なんて枕詞があるせいで、大上段に構えてしまうのでしょうか?

それじゃぁ、「今年中にやりたい事リスト」にしてみたらどうでしょう?

あくまでも私の場合ですが、河津町にある「船戸の番屋」の露天風呂に行ってみたい。長野県の「奈良井宿」を歩いてみたい。「願成就院」の看板犬、秋田県ロッキーに会ってみたい。「そば処おきちゃん」の十割そばを食べてみたい・・・。

あれ、思い浮かびました。
不思議ですね。

死ぬまでに」だと思い浮かばないのに「今年中に」だと、やりたい事が思い浮かびました。
だったら「今月中」にしたらどうでしょう?

クロールで100メートル泳ぎたい。(クロールは苦手なのです。)

なるほど、そういう事か・・・。
死ぬまで」が「今年中」になり「今月中」になるに従って、やりたい事の程度が低くなっていくわけです。

クロールで100メートル泳ぎたいとは思っているけれど、別に死ぬまでにそれを実現したいと思うほどでも無いわけです。

目標を達成するためには「いきなり高い目標を立てるのではなく、小さな目標を積み重ねた方が良い」というのをよく聞きますが、まさにその逆ですね。

死ぬまでに」なんて振りかぶると、大袈裟になり過ぎて、小さな目標が見えなくなってしまうわけです。

もしかしたら明日、交通事故で死ぬかもわからないのですから、取るに足りない目標なんて実は無くて、どんな小さな目標も、それが出来る時に、ひとつずつ潰していくべきなのかも知れません。

とりあえず今日は、温水プールに行って、クロール100メートルに挑戦してみるかな・・・。

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