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不便な山奥で民泊をやっている理由

伊豆の山奥で、独り暮らししているペースケです。
自分は、孤独が好きだし、あまり人付き合いが上手い方では無いので、ここでの暮らしは、自分の生き方に適っていると思っています。

もちろん、社会性が無いわけではありません。
人生の大半は、一般の人と同じように生きて来ました。
ただ、少しだけ 息苦しさを感じていた のは事実です。
だからこそ、セカンドライフを、こんな山奥で送っているわけです。

ここでの暮らしは今年、4年目に突入しました。
特に不満はありません。
強いて言うなら、もう少し稼げると、生活に余裕が出るかなと思う程度です。

そもそも、酒もタバコもギャンブル(株はやってますが・・・)もやらないし、コロナ禍になってからは、外食もしなくなり、あまり経費の掛からない体質なのですが、別に倹約しているわけではありません。
だいたい月7〜8万円で、普通に暮らしています。

その大半は、老人ホームの宿直バイトで稼いでいますが、仕事自体は、留守番に毛が生えたようなものなので、ほぼ負担はありません。
それに、3日に一度の勤務なので、生活にリズムも出来て、今のところ、願ったり適ったりです。

そして、ほとんど趣味の領域ですが、自宅で 民泊 をやっています。
民泊 と言うのは、有料のホームステイですから、小遣い稼ぎになるし、様々な旅人と、人生のひとコマを共有する 事が出来ます。

孤独が好きで、人付き合いに難があると言っておいて、ゲストを自宅に泊めると言うのは、なんだか矛盾しているようですが、これが不思議と上手くいっています。
月に1組か2組しか、ゲストが来ないせいかもしれませんが、一晩を他人と過ごすのは、意外に 面白い のです。

リピーターになってくれるゲストも増えました。
そんなゲストは、また違った意味で、単調な日常にサプライズを与えてくれます。

もし、民泊をやってなかったら、この山奥での暮らしは、全く違ったものになっていたかもしれません。
ここに越して来て半年間は、アルバイトもしてなくて、もちろん、民泊もやってなかったので、人恋しくて仕方ありませんでした。

地元のテニスサークルに参加したり、音楽教室でサックスを習ったり、自分から働きかけて、地域社会と繋がろうとあがいていました。
民泊を始めたのは、移住した年の夏です。
そして秋に、アルバイトを見つけて就職しました。

民泊を続けたかったので、夜勤の仕事を探したのですが、今のバイトは、夜勤と言っても、夜の7時間は寝られるので、身体の負担も軽く、何の問題無く、民泊を続ける事が出来て、とてもラッキーでした。

こうして山奥での暮らしは、丸3年が経過し、4年目に突入したわけです。
コロナ禍のお陰で、今年は海外からのゲストが、ほぼゼロになってしまいましたが、代わりに、リピーターの日本人ゲストが、その穴を埋めてくれています。

繰り返しになりますが、山奥の別荘地での暮らしは、実に単調です。
宅配便と郵便局の配達員くらいしか訪ねて来ません。
それに夜は、ほとんど出歩きません。

ゲストが居ない時は、惰眠をむさぼるか、ネットで映画やドラマを観るか、食事するかです。知り合いとのコミュニケーションは、ほとんど SNS。電話も、滅多にしません。ヒッキーと大差はありません。

しかし、退屈に飽きて来た頃、不思議とゲストの予約が入るのです。
まぁ、月に1度か2度、多くても3度ですが、突然、非日常 が訪れます。
これが、今の自分に取っては、心地良いサプライズになります。

これまでずっと「別荘地の中古物件で、Bダッシュライフを送りませんか?」と、皆さんに勧めて来ましたが、ひとつの視点が欠けていたかもしれません。

小屋暮らしを提唱している 寝太郎氏の YouTube 映像 を見てもわかると思いますが、小屋暮らしの「孤独」に耐えられる人というのは、滅多に居ないと思うのです。実は、別荘地の中古物件暮らしも同じです。
何らかの形で社会と繋がる事が、とても大切だと思うのです。
そういう意味で、自分に取っての 孤独の捌け口 が、民泊 なのです。

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