やっぱりインプット=「ジブンの楽しみ」の時間は確保すべき⓷

★寝込んではじめて分かること


高熱で倒れた時に寝込みながら思ったのは、「でもここまでできたのはカラダを整えていたらからだなあ」ということ。今回はね、無理しすぎて溢れてしまったわけですが、その溢れ方がハードだったの大いなるストレスとプレッシャーがかかっていたんだなと実感するとともに、「こんなにオレ、強くなってたんだっけ?」と思えるほどのストレスとプレッシャーに耐えられるようになったんだなとも実感したわけです。

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現に、さすがに寝込まなくなったけど、まだちょっと全快ではないという状態で仕事に復帰した時には、普段の1/3ぐらいしか消化できませんでしたもん。スピードと言い、ボリュームと言い、クオリティといいね。それでも人並み以上、コンサルで見ても最低限の仕事はしていますが。



★アタマが動いてもカラダが動かなければアウトプットできない


だからやっぱりすべての基礎はカラダなんだな、とほんとに実感したわけです。

寝込んでもアタマは動くわけです。そこそこだったら。寝ながらも、「あーあれしなきゃ」「これもか」「あ!そういえばあれ忘れてた!」「今度はこうしてみよう」などなど、思いは逡巡してくるわけです。

でもその思いや情報を整理して、クオリティの高いものに仕立てていく過程のまさに「作り込み」においては、アタマだけじゃどうしようもなくてカラダがついてこないとできない。机の前に2時間も3時間も座ってられないですからね。あーでもないこーでもないと手で書く、描く、パソコンで資料を作り込む、という作業はカラダが整っていて元気であるからこそできることです。



★インプットでさえ元気なカラダが必要


また自分の人生の楽しみでもあるインプット。こちらもカラダが元気でなければできないこと。読書はもちろん、映画を見る、音楽を聞くなんてこともカラダが元気だから、心から楽しんで噛みしめるように楽しめるわけですよ。読書って体力要りますもん。

これがカラダがおぼつかないなら、読書のために30分も座っていられないでしょうし、映画を観ても、音楽を聞いてもしんどくて途中で寝落ちしてしまうわけです。なんなら、しんどくて仕方ない時には映画も観ようとも思わないぐらい気力がすり減っているときも。




★共働きは常人ではない体力が必要なんだなと改めて実感


だから、今回の件では改めてカラダってほんとに資本なんだなと思いました。これがなきゃ、しかも十分になきゃ一日のうちにパンパンにやりたいことを詰めることもできなければ、子どもたちのためにやるべき家事も十分にできない、ひいては共働きという生活自体も送れないもんなんですよね。それぐらい共働きでしっかり仕事もして、子供のことも一生懸命にしようと思うと大変なことで、体力が常人の2倍、3倍と必要なことなんですよね。

もともとカラダが弱く、生活体力もないワタシだからこそ一旦倒れるとそこに気がつけるわけで、同時にこれまで毎日ちょっとずつやってきた「カラダを整える」という積み重ねは間違っていなかったんだな、と思う次第です。

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