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わたしたちの夢見るからだ【第八話】:タトゥーになれなかった傷についての覚え書き

 前回書いたことについて。

 親愛なるねこさんがわたしの手につけた引っかき傷、そこにインクを擦り込み、その跡をタトゥーとして残すという、そのやり方にはどうも無理があったようだ。

 インクを擦り込んで数日のうちは、エメラルドグリーンの線が傷の形そのまま、手の甲にきれいに残っていた。だが、じきに線そのものとその周りの皮膚の部分がうっすらと赤くなり軽い熱と痒みを帯びた。原因は定かでないが、軽い炎症を起こしたようだった。

そのまま、ひどくも良くもならない数日を経、気づいた時にはもう皮膚の上には何も残っていなかった。

 エメラルドグリーンの線を作っていたインクはいつのまにか、カサブタ、あるいは代謝された表皮などとともに剥がれ落ち、皮膚の内側からすっかり消え失せてしまったのだった。

 ねこさんが傷をつけたところにインクを入れてから跡形なく治るまで、10日かかったかどうかといったところか。

 詳しい方に話を伺ったところ、皮膚に刃物などで傷をつけ、そこに染料を擦り込むやり方はスクラビングと呼ばれるらしい。

 わたしのやり方がうまくいかなかった理由としては、針を用いて皮膚に入れ込む前提で作られたタトゥーインクでは濃度が足りないこと、できた傷にインクを入れるタイミングが適切でなかったことが大きいようだ。

 また、引っかき傷では、インクを擦り込み定着させるのに深さが足りなかった可能性が高いらしい。

ねこさんのつけた傷の形を確実にタトゥーとして残したいのであれば、引っかき傷の上からあらためて刃物で浅くなぞるなどして適切な深さの傷を作り直した方が、スクラビングの技法を用いたタトゥーとしての確実性は上がるだろうということだった。

 

 わたしはそれを聞いて思った。

 ねこさんのつけた傷の形を自分でなぞるのであれば、形は変えず深さを直すだけにせよ、それはもう自分が描いた創作の線になってしまうのではないか。

 皮膚感覚によるところが大きく言語化が難しいのだが、ねこさんのつけた引っかき傷がインクにより可視化され長く保存されてゆく、という愉快さ、楽しみな感じよりも、自分自身にタトゥーを施すための作業をするという感じが優ってしまうような気がしたのだ。

 残る傷と残らない傷、残したい傷、残したいわけでなくとも残ることになった傷跡、かつて傷であったタトゥー。

 主体的に体験されたものとしてのそれらは、個々の質の違いが非常にあいまいだ。

しかしそれらはあくまで別々の体験とその結果として、記憶と皮膚に残ったり残らなかったりしてゆく。

 タトゥーについて、そもそもなぜ皮膚の中の一定の深さに入れ込まれたインクの色が恒久的に保存されていくのか、未だその原理は医学的に完全に明らかになってはいないらしい。

 医学や法律より前に、肌に残したいものを残してゆくための営みがあり、それらは世界の多くの場所で、様々なシチュエーションの中、時には個人の命よりも優先されることとして、形や方法を変え実践され続けてきた。

 人間が生きることに必ずしも理由は必要ではないかもしれないが、他のあらゆることと同じようにタトゥーも、個人が生き延びるための理由になりうる。

 そのことをいつも考えながら、心と、タトゥーの入る可能性のある皮膚を持った生き物として、わたしは生きているのだった。


執筆者:無(@everythingroii

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