コンテンツ受容の教育の必要性と生涯学習の難しさ(この前の配信で話したやつのまとめ)

この前の配信中に、このnoteを紹介されたので読んでみた。

すげー要約すると、「『けもフレ』というコンテンツは、動物に関して真摯に向き合っており、我々に正の面も負の面も教えてくれるかけがえのないものであり、押す価値がある」という感じの内容だ。

これを読んだ僕の感想は、「まあそうだよね。賛同できる。」でした。それと同時に、最近考えていることがあることを思い出したので、配信で話してみた。

話した内容をめちゃくちゃ圧縮すると、「そもそもコンテンツ受容には素養が必要で、コンテンツを活かすためにはコンテンツ受容教育を行わなくてはならなくなってきているんじゃないだろうか」というものになる。

これはどういうことかというと、例えば良いコンテンツがあったとして、そのコンテンツが社会的にも意義のあるものであったとしても、コンテンツを受け取る側がその社会的意義をキャッチできる能力がなければ、結果としてそのコンテンツの社会的意義が半減してしまうということである。

「そもそも『けものフレンズ』が生まれるきっかけがコンセプトデザインを手掛ける吉崎観音先生が動物園でサーバルを見た時に「こんなにも魅力的な動物がいるのに多くの人が素通りしてしまう」と思ったことによるという。」

という文章が、上の記事に書かれていた。何かのコンテンツというものは、そのコンテンツの制作者の興味・関心・問題意識が反映されるものだと思う。そして、『けもフレ』の場合は吉崎先生は魅力的なのにマイナーだから多くの人に存在を知られないし見られないことに問題意識を持って行ったということになる。そういったものを踏まえて出来上がったコンテンツには、当然そういったものがコンテンツを受け取る側に拾ってもらえるように設計されている。しかし、多くの人間は受け取れるように設計されていても受け取ることができない。なぜならそういったことを学校教育で受けていないからである。そういった教育を受けていないのに受け止めることが可能なのは、それはその人の環境などによって知らずのうちに教育されていたのであって、学校教育だけを受けた人にとっては、コンテンツの背後に隠されている製作者の意図や背景を受容できない。

つまりこういうこと。

<通常の流れ>製作者の問題意識の発見→製作者のコンテンツ制作→コンテンツを受容する消費者

<コンテンツを活かすための理想の流れ>製作者の問題意識の発見→製作者のコンテンツ制作→コンテンツを受容する消費者→コンテンツから問題意識を発見する消費者

我々消費者は、コンテンツを受容した後に、そのコンテンツの持つ「深み」を読み取らなくてはならないのである(読み取らなくてもいいコンテンツもあるけど、今はその話は置いておく)。そして、コンテンツ受容後にそれらを読み取るためには訓練が必要。しかし、学校教育ではその訓練が十分になされているとはいいがたい。

そこで重要になってくるのが生涯学習と呼ばれるものである。しかし、日本における生涯学習は、主に定年後に始まることが多い。これはもうダメダメのダメ。のだめカンタービレ。千秋様~!マングースの着ぐるみ。

生涯っつってんだから、学校教育と並行して行うべきだし、学校教育を卒業した後も継続されるべきなのである。しかし、現実問題学校教育を受けている人や定年前の働いている人達は、主に時間的制約のため、生涯学習を行うことができていないでいる。こまったもんだ。

どうにかしないといけない。けど、どうやってその問題を解決すればよいのかということはわからない。そもそも「教育」っていっちゃん難しいし。


みたいなことを一時間くらいかけてグダグダしゃべったのが、この前の配信の後半部分でした。なんとなくでも理解してもらえればさいわ~い!(ドールボイス)です。


おしり

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