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育児はいつも流転して。一定なきゆえ頭はいつもフレッシュ&リフレッシュ

私には五歳と四歳の娘がいる
 いま五歳の娘の愚図り期である。それがまた特殊で母が叱ってもそこまで泣かないが、父である私が叱ると凄まじく泣く。まるで号泣。
 なぜかと夫婦でいつも不思議がる案件だが、まぁいつか流転するさ、と前向きに捉えている。が、その実、その時はやはり大変である。
 昨夜は父である私が寝かしをしたのだが、鼻水をふんふん!と五歳の娘が私に飛ばしてくる。
やめてけろ!鼻水はちゃんと鼻紙で拭いなさいと優しくいうと大号泣である。そこから今度はあやしにはいる。横で四歳の娘がパパは怒ると怖いから可愛い声で言えばいいんだよ、とアドバイスをくれたため、五歳の娘によしよししながら、パパが悪かったでちゅねー、鼻水は飛ばさないでねーっと声色を変えて言ったが、まぁ、、、何も変わらないのは、だろうなという予測の範囲内である。泣き止まぬ娘、途方にくれる父親、笑顔の四歳の娘。カオスだなぁ、育児。って、とおもいながら、時間が過ぎるのをまつ。すると、オルゴールつける!と五歳の娘が言ったのでつけてあげて、さぁ、落ちつくずと希望を持つと、ダメである。今度は間違い探しの本を部屋を暗くして、ケータイのライトを照らして、見たいという。目が悪くなるし、そんな簡単に五歳用の間違い探しは正解を見つけられない。娘にそれはやめよう!先ほど恐竜の本を選んだからそれを読もうと提案をすると、はい、また大号泣である。
 あぁ、これは端から見たら単なるわがままな子供だよなぁとおもうが、いつもきっとどこかで我慢してて、それを発散するために父の胸を借りて号泣して、発散したいんだろうな、と無理矢理に理屈をこねて、いまと闘う。
すると、わかったよ、、、と泣きながら納得して、恐竜の本を読み始めるとすぐさま夢の中へ落ちていった。
まさに、
「いろはにおへとちりぬるをわがよたれぞつねならん」
 という言葉をよく思い出す、毎日を過ごしながら、子供のかわいさ、尊さに感謝をして、奥方に愛と感謝を覚えて、夜が終わる。
 横では五歳娘のおおいびきが聞こえ、四歳娘はなぜか笑顔で寝ている。
 これが人間の生活であるな、としみじみと感じた昨晩の出来事てある。

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