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ウチガタリ・ユニット「点線」の1stミニアルバム『ちいさな』へ、気鋭の評論家コメカさんがうつくしいテキストをお寄せくださいました。

国分寺・早春書店店主でサブカルチャーを中心軸として鋭利な批評を展開するライターでもあり、テキストユニットTVODとしても活躍されているコメカさんに、点線 1st ミニアルバム『ちいさな』を巡るうつくしい原稿をお寄せいただきました。
とてもすてきな文章ですので、ぜひ最後までお読みくださいませ。

私たちは誰もが、「ちいさな」存在として生きることしかできない。どれだけカネを稼いでも、どれだけ権力を手にしても、どれだけ知識や文化に精通しても、ひとりの人間という「ちいさな」存在としての自分、世界のなかでどうしようもなく「ちいさな」生き物でしかない自分自身からは、逃れることができない。それに耐えられなくなると、ヒトは無理矢理にでも自分を大きく見せようとし、他者を侵食しようとする。「ちいさな」存在としての自らと和解し、手をつなぐことができなければ、この世界のあらゆる場所にある数えきれないぐらいの「ちいさな」生を見つめることも、そのたくさんの存在を感じ、心のなかでとらえ、隣にそっと佇むことも、できなくなってしまう。

この星が生まれてから消えてしまうまでの間、私たちはそれぞれに生まれ落ち、ほんのわずかな時間を、互いに偶然に共有する。そこにある無数の「ちいさな」光としての私たちの生が織りなす交感は、どうしようもなく儚い火花であると同時に、いつまでも消えることのない永遠の灯りでもある。侵食し、傷つけ、刻み付けることで世界に残される爪痕よりも、たくさんの「ちいさな」生の光がいつだって瞬いているということこそが、私たちがこの星で時間を過ごしたことを何より証明してくれるのではないかと、ぼくは思う。チカチカと輝く命の光が、世界のはじまりから終わりまでに、数えきれないぐらいに灯る。光の輝き方はそれぞれに違う。それぞれの光に、価値の高低や優劣なんて存在しない。どんな光も、自らの命をただ精一杯に燃やすだけだ。私たちそれぞれの生がどうしようもなく「ちいさな」光でしかあり得ないという限界こそが、この世界が持つ希望そのものだと思うのだ。

点線の「ちいさな」ポップ・ソングたちは、そうしたたくさんの生の光に捧げる祈りであるように、ぼくには聴こえる。ここにあるのは過剰さや逸脱ではなく、静けさと抑制である。慎重に組み上げられたリズムやハーモニーと、丁寧に言葉を噛みしめるように歌うボーカルが、ゆっくりと時間を編んでいく。織り込まれた豊かなテクニックや手法は刻み付けるように強調されることはなく、それぞれが静かに歌のなかで交感し、「ちいさな」世界を描き出していく。「逃げずに見つめるよ 傷口を 憎しみを 暗闇を 悲しみを 生きてるよ」(「ちいさな」)。静かに、慎重に、丁寧に「暗闇」に目を凝らそうとするからこそ、この星の無数の「ちいさな」光に気づくことができる。「暗闇」に怯え、侵食し傷つけることによって痕跡を残そうとする悲しさに、抗う。ほんの少し勇気を出せば、それはきっと誰にだってできることであるはずだ。光はもうずっと昔から、あらゆる場所に灯り続けているのだから。

繰り返す日々の時間を一生懸命に踏みしめながら、「暗闇」に吸い込まれてしまうことのないように、この星に灯るたくさんの光を見失わないように、生きていく。寂しくなったり悲しくなったりしたときには、このアルバムに耳を傾けてみてもいい。流れてくる点線の音楽にあわせて歌を口ずさんだり、少し身体を揺らしてみたりすれば、自分自身もまた「ちいさな」光であることを、思い出せるはずだ。


コメカ

ライター、古本屋店主。
音楽、お笑い、漫画、映画など、各種サブカルチャーに関する批評を展開。ライター・DJのパンスとのテキストユニット「TVOD」では「サブカルチャーと社会・政治を同時に語る」活動を志向し、単行本『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)、『政治家失言クロニクル』(P-VINE)を発表。また、国分寺駅そばに店舗を構える古本屋「早春書店」を経営。オールジャンルの古本や厳選した新刊を取り揃え、営業中。

コメカTwitter https://twitter.com/comecaML
早春書店ホームページ https://www.so-shun-shoten.com


〇ウチガタリ・ユニット「点線」 1stミニアルバム『ちいさな』、配信元は下記リンクよりご参照ください。


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