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開きっぱなしについて考えてみる


開きっぱなしについて考えてみる。開きっぱなしって人の目を気にしないことかなと。あと、色んな人がいますがオープンマインドで、受け入れていける。ってことかな。

私が完全に開いたのは、真冬にマフラー1本でクロマニヨン人しかもメス登場。みたいな全裸で街歩いちゃったあん時からですね。頭の上がパコーンってなって振り切った感あります。

これは、作品作るとかして、ある程度認めてもらい、しれーとわたしそっちですから。っていくしかないなと思ってます。毎年好きで、福島県にある、はじまりの美術館で開催される福島県芸術作品展きになる表現に出品してるのもそんな感じかな。やってるうちに、入賞もしたし、色々周りが認めてくれるようになってきてますね。小さな展示会かもしれませんが、作品を大切にしてくれる素敵な美術館なので、審査員もそうそうたるメンバーなので、毎年ワクワク作ってます。

普段は、ずーと接客業できてるから、いるよね。コンビニで働いてたとき、高校の近くだったからお金投げられたり。おい、どーゆー教育うけてんだ!ってこともあったし。そーゆーやつと記憶は、速攻ネタにして終わったらポイですが、自分を攻撃してくる危険な人以外は、受け入れていく広いキャパを持てるようにはなってきてるかなと。

昔から開きかけてはいた気はします。おばちゃんが、知らない人でも話しかけてすぐ友達になっちゃう人だったから、おばあちゃん子だった私は、もう、それが世の中で普通だと思ってて、東京でたりした時にカルチャーショック受けた気します。知らない人には基本話かけないよね。びっくりびっくりでした。

私は、脳の回転速度が速いのです。それは、幼少期、面倒みてくれたおばちゃんが胡桃(くるみ)は頭の回転よくするからっておやつに必ず切らすことなく、用意してくれてて。もうそのせいだなと。くるみ食べ過ぎは、鼻血だけじゃなく回転にもご注意をだよね。

病気は胡桃が原因じゃなく、生活環境の変化、仕事を辞めなきゃいけなかったり、地方に移住したり、出産が全部かさなり、色んなストレスを抱えてそれが引きがねでした。

病気、落ち着いた今も回転は早いままですね。小さな頃は勉強もまあできた方かな。良すぎて1周しちゃいました。すんません、てへ。ですわ。

私、20代で雑誌の編集者してた時期、先輩編集者にたまに新宿2丁目連れて行ってもらってて。最初に2丁目行ったときは自分より年下の男になりたい女の子に街をナビゲートしてもらって。あと、高校3年の時に性同一性障がいの本を1冊読んでて、あの辺りから、うまれてきた性別とか国籍とか自分じゃどうしようもないことで人をごにゃごにゃ言うのはしない人になった。あとは、性格だと思う。

あと、ダンスミュージックがすきで、麻布十番のクラブに行ったときに、ゲイのお兄さんのポールダンサーの体のラインや動きの美しさに感動してた。

ゲイといえば、私、高校の部活一緒だった同級生にのちのちゲイだったことがわかった子がいて、その子、20年くらいまえに自殺して亡くなったことがあった。地方だから地元に戻り、生きづらかったのかも。部活のとき、私なんもしてないのにめっちゃ嫌われてて、嫌がらせとか悪口いわれてて。なんでだろうって悩んでたんだが大人なり、あー、そうだったのか!なるほど。みたいに分かるみたいな。

時代も少しずつは変わり、いまの私の周りにもゲイの人いるけど周囲に受け入れられて穏やかに生活しているようにみえるから時代も変わってきてるなと。あとは、どんな性別でも性格もあるよね。私カマタクさん好きでたまに動画見てるけど、あーゆー面白い人はいいよね。みてて清々しいし、納得ってなる。

ま、開きっぱなしに戻すと、ある程度、障がいのある人とも関わってきてて、少しずつ色んな病気の特性や特徴を知り受け入れ体制はできてるが、基本根性まがりの人はお断りって感じかな。それ以外だったら大抵の人は大丈夫です。

昨日、ふっと思ったんだが自閉症のアーティストとあう機会があり、面白い経験だった。作品も凄いし、数も半端ない数作ってて、会話できないのかなとも思ったが、挨拶してもらったんだよな。なんか、彼の呼吸を覚えたら意思疎通出来そうね。って思った。いま思うと確かに彼は開いてはいなかったかもー。自分の中の独自の世界があったもんな。開きっぱなしも閉じっぱなしでも、みんな違うから面白いっておもいます。

おわり。


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