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音楽って凄いなぁ、という夜中の語り。

最近、ウォークマンが復活した。

在学中によく聞いていた曲が詰まったウォークマン。去年の大掃除の時に発掘していたそれは、同じ大嵐のような大掃除の時に充電の諸々やPCに繋ぐ諸々を捨ててしまったらしく、しばらく物言わぬ置物となっていた。

なんとかしなければ、と思いながらカレンダーのページを3回ほどめくったこの月に、ようやく精神的に余裕ができたからそいやっとPCに繋ぐ方を買い直して無事彼は音楽を流すという本来の目的を取り戻した。

音楽を聞ける媒体はどんどん進化していって、そして僕もその進化に別に合わせたい訳ではなかったけれど、そこそこ乗り換えていっていた(物持ちが悪いとも言う)ので実質何代目になるのか思い出せないウォークマン。
思い出の重心としては在学中、特に大学時代やその少し後あたりに聞いていた曲が詰まっていた。

ブックマークを辿ってみる。簡素に数字だけ割り振られたそれらの中身を見ていると、3番目のブックマークから最も濃い思い出の香りがする。そうだ、確かに好きな曲を好きな数字に登録していた。3。中途半端な割り切れなさとどこか迷いを感じさせる数字。リアルネームの方にも遠い縁があって好ましく感じていた。いまはもう、他に好きな数字ができたからあまり使わないけれど。

閑話休題。とにかく、少し聞いただけでもいまでも好きな曲が入っていたから仕事の時のBGMにちょうどいいかもしれない、と軽い気持ちで流してみたんだ。しかし聞けば聞くほどにびゅう、と春一番みたいに思い出の風が吹きつけて、その香りと強さにめまいがするようだった。ああ、仕事という現実に向かうにはこの空気は懐かし過ぎる、そんなことを思った。

音楽というのは不思議なものだ。別に出来事の記憶に意味として結びついていなくとも、その場面でそれを聞いていた、というだけで思い出の1ページを感覚の中に描写する。バスを諦めて歩いた人気のない道を。街並みが徐々に自然に溶けていく電車の車窓を。何よりも心の拠り所にしていたあの狭い部屋を。

仕事を終えて白湯を飲みながら、ヘッドホンでじっくり聞いた。目を閉じれば思い出の光景がまぶたの裏に浮かんでくるようだった。

そしてふと僕は自分に問いかける。「僕はどこにいる?」閉じたまぶたを上げても大して変わりない居間がある。細かく見ればテレビの下にあるのはWiiじゃなくてswitchだし、スマートフォンもiPhoneだ。けれど家というものはそんな数年の年月で大きく変わりはしない。だから感覚に問いかける。実は、そろそろ提出物の締め切りが迫っていないか?明日には出ないとまずい講義があるんじゃないか?「僕はどこにいる?」

でも、すぐに実感と答えが返ってくる。「もうそこにはいないよ」と。つれない答えだ。けれど、問題なく正しい。

いくら思い出の香りがしても、それはただ昔感じた風が吹いているような感覚がするだけで、いまという現在地点は変わらない。当たり前だ。時間は不可逆なのだから。でも、少しぐらつくかもしれない、と少し期待を寄せてしまうほど、あの頃聞いた音楽は確かに心に響いた。

僕だってあの頃の僕とは違う、変わった……と言いたい気持ちはやまやまにあるし少しは成長したところは確かにあると信じたいけれど、その辺は隣町に引っ越したようなもので本質的には大して変わりがないというか、10年会ってなかった幼馴染みにペンネームを当てられかけたことといい、そうそう大きく人間は変わりはしないものだ、という諦観は実際にある。

だからまあ、過去にぐらつく心はあれど結局この目の前の、頂いているありがたいお話があって、少し先になるけれど実現させたい企画もあって、そして大きな出来事を終えて少し凹んでいる、そんな現在をやっていくしかないのだ、といういつもの結論に落ち着いたのだった。

少し悩んで、ブックマークに登録した曲を全て解除して再編した。
いま現在の感覚で聞きたい音楽を登録する。
すると思い出の香りはずいぶんと薄くなっていた。
それでいい、それがいい、そんなことを思った。

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