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創作欲と、自信と付き合っていきたい話

なんとなく何か書きたい深夜。これまたなんとなく創作欲と自信についての話をしたくなったので、そんな感じのことを書き連ねていきたいと思います。

一般、というものはよくわからないから結局自分の尺度で書き出さなければならない。

僕にとって創作欲というものは浮かんだり沈んだり、ひどく『揺れる』ものである。作りたい時かつ作れる時は寝るのも忘れて作り続けられるし、作りたくない時かつ作れない時はてんでだめなので屍になるしかない。
屍になった時の気分は最悪だ。いくら創作にアイデンティティの重きを置かないように心がけていたとしても、自分の半身を失うような感覚になる。
そりゃあそうだろう。形態は違えど、もう人生の半分以上は何かしらの創作と共に生きているのだから。とはいえ、欲と行動力がガッチリ肩を組んで爆走しているのも、それはそれで長くなれば長くなるほど身体が臨界に爆走してしまうので、波があるのは自己の防衛機能なのだと思う。そりゃ、寝る間も惜しんで毎日毎日作り続けてたらぽっくり『先に』いっちゃうでしょう。そういうことだよ。だから、ほどよく創作欲と付き合うことが必要な訳だ。
そこは三大欲求と大して変わらない、とも思う。食欲過剰になれば身体を壊すし、睡眠欲もこじらせたら精神に良くないし、性欲は言わずもがな。

しかし、それを焦りの方面から駆り立てるものがある。
自信。またはアイデンティティ。自己肯定。

例えば素晴らしい作品を見たとする。そしてその技術力の高さに、磨かれたセンスに、瑞々しい発想力に、悔しさを味わうこと。他の人がどうなのかは厳密には知らないけれど、少なくとも僕にはしょっちゅう発生するイベントだ。一旦スイッチが入ると、どんなに暖かい言葉を頂いても作品に対する自信の灯火も薄らいでしまうし、目指す先も真っ暗になってしまう。作れない自分自身へ失望することもよくあることだ。

紆余曲折あった。けれど、結局灯火が消えたことは一度もない。
とある方の言葉を一部借りる。技術力の高さや磨かれたセンスを、体感を伴ってわかること。発想の瑞々しさを感じられること。これはその作品の『素晴らしさ』が理解できる目が養われているということなのだ、と。
この話をした方も言っていた。それは『祈り』でしかないかもしれないと。
けれど、少なくとも僕自身はそう信じたいと思っている。

いつか天井みたいなものに頭をぶつける時が来るだろう。いつになるかはわからないが、絶対にあるはずだ。僕はそれほど気概のある人間じゃないから、「そうか、ここが天井か」とすんなり降りていってしまうかも。

でも、万が一興が乗ったら玉砕覚悟で頭突きをするかもしれない。
そのときに、少しは天井を凹ませられる武器を持てていたらいいな、と思う。だから今日も、創作を続けていくんだろう。


大切なことなのできちんと言語化しておくと、皆様から頂ける言葉、いいね、RT、全てが日々の活力になっています。べっこり凹んだ時に一瞬見えなくなってしまうだけで。確かに、心の灯火にさせて頂いています。
暖かい言葉に励まされ、癒やされながら進んでいける僕は幸福な人間です。

心からの、ありがとうございます、を。

今日も明日もその先も、浮かんだり沈んだりしながら創作を続けていく。
作品の形は違えど、作っていきますので、今後も見守って頂けたら幸いです。
ご覧頂き、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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