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面白おかしいろくでなしへの賛歌(仮)

昔のインターネットには、面白おかしいろくでなしがたくさん居た。
インターネットという便所の落書きに、誰に呼ばれるわけでもないのに集う暇人が、面白おかしいやりとりや壁打ちのような言葉を朝から夜中、日が明けてまた暮れて、そして何度も明けても打ち込み、書き込み、ログを消費していった。

場末の映画館のトイレのように通ってきた人間の痕跡が色濃く残る、けれど変わり者や変わり者で在りたい凡人しか近づかないような、そんなろくでなし達の世界。

僕は、いつかあの中に行けたらいいな、と思っていた。
普通や一般、正常という言葉や世界に疲れて、居づらくて、苦しくて。
それを忘れさせてくれたのが、画面の中、テキスト上の彼らだった。
人生というレールから転げ落ち、落伍した自分たちのことを互いに罵りながら、暇つぶしの肴にする。それを眺めながら、時に笑い、時に泣き、時に安らいだ。
そんな時間と、彼らが好きだった。
だからいつか自分の責任で書き込めるようになったら行きたいと、そう思っていたのに。

それはいつの間にかずいぶんと広々とした場所になってしまって、老若男女問わず訪れる公園みたいになってしまった。

あの頃たしかに居た、あの面白おかしいろくでなし達はどこへ行ってしまったのだろう。

普通や一般、正常へ向けて歩き始めた者も居ただろう。年齢や周囲から吹く強く冷たい風に、耐えきれず舵を切った者もいただろう。消えゆくろくでなし達の世界に、見切りをつけて去った者もいただろう。
きっと、『先へ』いってしまった者もいただろう。

でも、確かにTwitterには、時々彼らの残り香があって。
いやきちんと気をつけて周りの景色をカスタムしていかないと毎日放火や過失の火事やマウント合戦が発生する火の海を眺め続ける羽目になるのだけれど、それはさておき。

今書いているのはまさに懐古に違いないのだけど。
罵倒も、汚い言葉も、面白おかしい言葉も、掛け合いも罵り合いも、奇跡のようなレスも、卑下も開き直りも全て……いや、全てと言うにはそこまで網羅できなかった身ではあるが、僕はそれがただただ、好きだった。

もうあの頃は戻ってこない。時の流れは不可逆で、いくら歴史は繰り返せども寸分違わぬ同じものが帰ってくることはない。

そしてまた、僕自身も。かつてそれらに魅せられていた者が、成長と共に普通や一般、正常になれる筈もなく。日々、「正気の沙汰に痛めつけられ」ている(好きな歌の言い回しを使わせて頂いております)。

年を重ねる毎に、生きやすくはなって。それはかつて固執していた普通だったり正常だったりするの言葉を年齢を理由に諦めやすくなったのと、ろくでなしへ近づきつつある実感があるから。

自分が「面白おかしい」ろくでなしになれるかは、正直微妙なところだと思う。なりたいとは思うけれど、僕はそんなに面白い人間ではないので。
でも、自分にとって面白いものを命が果てるまで追いかけて、カタチにして、やがて静かに朽ちていく……そんな人生だったらいいな、と最近よく考える。

憧れた場所・人はもういなくとも。憧憬は心にいつでも在り続ける。
そしていつか、普通や一般、正常に苦しめられている人が少し雨宿りできるような文章を書ければいいのだけれど。

ありがとう。面白おかしいろくでなし。
真似も再現もできるアタマじゃないけど、これからもインターネットで自分なりに書いていくよ。

賛歌になるかはわからない。ただの独り言。

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