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スローリーディングって何??平野啓一郎さんの「本の読み方」より

みなさん、こんにちは。

読書感想文というより日記に近いのですが、今回は「本の読み方」の本の感想文。

流行りの「速読」へのアンチテーゼとしてスローリーディングを推奨している平野さん。

タイトルを見た時は普通にスローリーディングって良いですよ!というトーンで書かれているのかと思いましたが、ご本人も書かれている様に、若干過剰に「速読」を非難されている感じ。
非常に面白いです。なんか拗らせてる感すらあります(笑)。

そんな平野さんの文章は、超完成されているし、スローリーディングで精読することをお勧めしている文章を抜粋するのも、なんだかセンスがないような気がするので、あまり本書からの抜粋はせずに私なりに考えたことを綴ってみます。

スローリーディングの難しさ

平野さんの超説得力に感化されて、「よっしゃ!次の本から実践するぜ!!」と思うのは良いと思うのですが、そこは自己啓発本同様に、どんなことでもなかなか実践というのは難しいもので、次の本から「スローリーディング最高!!楽し過ぎるよ!!」なんて、そうは上手くいかないと思います。

私も本を読むスピードには10代の頃から関心があって、

  • ページを戻っても良いから登場人物をしっかり確認する期

  • 細かいことは気にせず、ガンガン前に進んで雰囲気楽しむ期

  • つまらないと感じてしまうところは、超ザクっと飛ばしてしまう期

などの様々な期間を時には戻りながら経てきたわけですが、どれも一長一短です。

やっぱり、自己啓発書などの知識を求める系であれば、3番目のスピード重視が満足度高い気がしますし、ドストエフスキーに代表される海外作家の登場人物難しい系(名前が覚えにくいということも相まって)は2番目が良いかなと。
そして大好きな作家&じっくり読ませる場面であれば、1番目のしっかり確認系が良いのかな、なんて思っています。

私は、以前から訊かれてもいないのに多少の本好きの人には「好きな本は三回読んで楽しむことにしている」と公言しているのですが、その読み方はシンプルに以下の通りです。

1回目:ストーリーを楽しむ
2回目:描写を楽しむ
3回目:新しい発見を得る

1回目は、楽しみに買った本をのんびりゆっくり読む余裕はやはりなく、どうしてもストーリーに夢中になってしまいます。作者の背景とか主張よりも、やっぱりまずは「登場人物これからどうなっちゃうのよ?」と思わずページめくっちゃうじゃないですか?
それにブレーキかけるってのも野暮かなと。

小説は娯楽なんだからやっぱり最初は情熱のままに読んでみたいよ、と。

2回目は、少し期間を空けてから。1回目を想いのままに読んでしまったために「あれ、こんなシーンあったっけ?」と思うこともしばしば。恋は盲目状態で、周り見えてなかったわーということに気づきます。
だいたい「この脇役いい仕事してるわー!」という気づきもこのときです。
ちなみにストーリー(この先どうなるか)が分かっているから、脇役のいい仕事に気づくというのもあります(私の読解力などその程度なんです・・・)。

3回目は、いよいよ新しい世界へ。大好きなシーンに向けてテンション上げて読むこともあれば、平野さんのスローリーディングとまでは行かないものの、一つの表現になるほどなー、と思ったり。
時間をかけるつもりですが、3回目なのでそれほど時間もかからなかったり。

ということで、スローリーディングはまだまだ難しいのですが、3回読みは続けてみよう!と勇気を頂きました。

思い出したこと

スローリーディングの解説で気づいたこと。

超当たり前すぎて、恥ずかしいんですが、

小説は作家が設定を考えている

ということです。

はい、アホなこと書きました。自覚ありますので、そりゃそうだろというコメントは受け付けません。

でも本当に思ってしまいました。設定を考えてるんだよな、と。

なんで設定を考えているかというと
何かを示したい」から。

作家としての主張かもしれないし、ストーリーとしてのクライマックスかもしれないし。
いずれにしても「何かを示したい」わけです。

こう考えた時に、今まで感じていた違和感が腑に落ちたんですよね。

よくある書籍へのコメント

「現実にはあり得ない設定ですよね」
「現実にはこんなうまく行かない」

別に良くないですか?現実にあり得なくても。
なんでそんなに現実的かどうかを気にしてるの??

ずっと思ってました。

たぶんそういう人って、本を通じて作家とコミュニケーションせずに、本(或いは主人公)を自分(或いは周囲)に投影して、比較したりしてるんですよね。
結局、主張を読み取ろうとする視点では、設定ってそんなに気にならないと思うんです。だって、現実を描写しているわけではなくて、作家が考えた設定なんだから。
その世界に入ったら、郷に従え、ですよね。

小説を飛び出して、大好きなさまぁ~ずの話になってしまうんですが、
彼らが言っていたんですよね。

さまぁ~ずライブ1の雪山のコントの副音声に自分達がコメントするDVDで、
「実際はこんなとこに座って話なんかしねーよ!!笑」
「でも成立させるためにはしょうがないんだよ笑」

これだなと。
リアルなことばっかりやってたら話にならないじゃん笑。

感想

最初に「抜粋は書かない」と言ったのに、早速自己矛盾していますが、
2点だけ、「すげーー」と思ったことを。

国語の問題を一続きの文章として読む

平野さんは、あるときから国語の問題で作者の意図を読み取るときに、作者=作家、という常識から、作者=問題作成者ということに気づいて、本文と設問を一続きの文章として読むことにしたそうです。

衝撃過ぎました。

この発想の転換は本当に凄いと思います。
高学歴の人はナチュラルに、或いはどこかで学んでこの考え方を身に着けているのかもしれませんが、人生ってこういう小さい気づきの連続ですよね。

凄すぎます。
そして、その言語化も素晴らしい。

違和感は大切なことを言っておきたい証

違和感を感じるときは、

作者が多少無理をしてでも、大切なことを言っておきたいと考えている場面

だそうです。

なるほど。

したがって、それを小説として「ヘタだ」とケナして終わるか、その強引さが意味するところは何だろうと考えるのとでは、作品の理解に雲泥の差が生じる

平野啓一郎「本の読み方」より

これって仕事でも同じだな、と思いました。

経営者の主張、過去の取り組み、色々と「なんか強引だな」って思うときありますよね。
そのときに、「なんでだろう?」とその人の思考を受け入れる姿勢になって、最終的に正しい答えは分からなくても「きっとこういうことなんだな」と理解しようとする思考を続けることが、最終的な実力の差を生むんだろうな、と思いました。

以上、あまり本の内容自体の紹介をせずに、期待外れだったかもしれませんが、
大変楽しい読書が出来ました。

おススメです。

では、Have a wonderful day!

最後までお読みいただきありがとうございました。
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