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歌舞伎・演目覚書③『伊勢音頭恋寝刃』

急に秋らしくなった。江戸研究の田中優子先生の『きもの草子』には「新暦になって、年中行事がややこしくなった」と書かれていた。例えば、カレンダーの三月三日に祝う桃の節句も、旧暦では、カレンダーの四月二十二日。桃は、桜より後に咲くのだ。重陽の節句「菊の節句」は旧暦九月九日。2023年のカレンダーでは、十月二十三日にあたる。浅草寺では十月十八日に、菊供養とお練り行列、奉納の舞が行われる。

昨年、お稽古していた長唄の名曲『都風流』には浅草の年中行事が綴られていて、菊供養も登場する。そして、『都風流』は平成二十二年の歌舞伎座の閉幕式の折、当時の看板役者が揃い踏みで舞った曲である。初夏からお正月まで、一年を通して、それぞれの役者の個性を活かした振り付けが見られ、秋の菊供養は中村梅玉丈であった。

菊供養 菊の香もこそ仲見世の 
人波わけてうちつるる
わけて一人はとしかさの 
目につくあだなさしぐしも(※長唄・都風流)

→ 浅草寺の菊供養の行事の日に、仲店で、人混みを掻き分け、掻き分け、歩いていると、熟年の色っぽい美人がいたよ

菊供養のくだりでは、初めに梅玉さんがおひとりでたっぷり舞って、最終的には三人の踊りになる。では、問題です。梅玉さんに加わった二人、としかさの美人役は、誰でしょう?

菊五郎・吉右衛門・仁左衛門・勘三郎(十八代)・三津五郎・梅玉・團十郎(十二代)・幸四郎(白鴎)

正解は梅玉さん、三津五郎さん、白鴎さんでした〜。

私が習っているのは長唄三味線なのだが、ここの部分が好きで、踊っていた梅玉さんのファンなのだ。梅玉さんは令和四年度の人間国宝だが、さかのぼること平成四年(1992年)の梅玉・襲名披露公演を二月にNHKで放送していた。

と、ようやく、タイトルの話へこぎつけた。で、演目は『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』。主人公の福岡貢(みつぎ)は元武士で、現在は伊勢神宮の御師(おんし)をしている。伊勢神宮近くの遊郭・油屋が舞台だ。舞台の始めに、四代目坂田藤十郎丈の今田万次郎が、人目を忍んで、訪ねてくる。万次郎は、過去に貢が仕えていた殿様で、万次郎が抱えているトラブルが語られ、遊女のお岸は暗くなるまで、隠れていろと万次郎に薦める。

続いて、貢が花道から現れる。万次郎がインチキ賭博か何かで質草にした刀をようやく、取り戻した貢は刀の折紙(おりがみ・鑑定書のこと)を探している。貢は隠れている万次郎を油屋で、待つ。ロビーのような大広間の一場で、複数のエピソードが起こる。犯罪まがいの悪意に晒され、貢に、武士としての性を目覚めさせたのは、割れた刀の鞘だった…。

冒頭、貢は、懇意にしている七代目尾上梅香丈の遊女・お紺に会いたがる。だが、金の取れない貢は、六代目中村歌右衛門の仲居・万野(まんの)にしてみれば、邪魔である。万野は、阿波から来た別のお侍のグループに、お紺をやってしまいたいのだ。万野は貢の名前で、偽の手紙を遊女・お鹿(五代目中村富十郎)に渡して、金を騙し取っている。もう、なんちゅうやっちゃ! 

だが、お紺は取り繕う貢にだだをこね、「縁切り」の台詞を吐く。オロオロする貢。今の梅玉さんへの番組のインタビューによると、七代目尾上梅香さんという役者は、世間的には「でんと座っているタイプ」などと皮肉られていたそうで、お紺の芝居もそうだったらしい。

お紺は、お鹿と貢の仲を疑っている。そして、怒っている。なぜ、怒っていると感じるのかというと、貢とお鹿の長いやりとりの間、その後、とりなそうと声をかける貢に対してまでも、顎を不自然に横に向けて、そっぽを向いているからだ。貢が目の前で困っているのに、お紺は知らん顔をする。前出の『文七元結』では娘の「余計な言い訳をせずに、ただ、俯いている」という芝居を見たが、梅光丈は「知らん顔をする」芝居を長々とやり続けるのである。歌舞伎のひとって、モゾモゾしない。集中も途切れない。…ように見える。本当に、偉い。

梅玉さんの解説によると、作品の魅力は「風景描写」の豊かさ。着物の柄や暖簾、あちこちに流水(りゅうすい)が散りばめられ、会話の小道具として常に、団扇を使っている。ひらひらと動く団扇は優雅ではあるが、団扇の影で話は進み、三味線が物悲しく奏出られる中、凄まじい事態に至るのだ。主人公が破滅する話は数あれど、モノローグを台詞に、心の葛藤を芝居にして見せる歌舞伎ならではの作品だ。#舞台感想

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