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三月大歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』メンズ着物をウォッチング

狂気の美しさを堪能した幸四郎丈、振り返り。

近頃「無我」について、良く考える。例えば、マラソンのゴール目前にトップ争いをする選手たちは無我だ。狂気というのは、やがて「無我」に繋がるのかもしれない。『伊勢音頭恋寝刃』の松本幸四郎丈はスッキリと美しく、心の底にあるモノを見たようで、大満足だった。

通し狂言なので、スピンオフ・ドラマ風に場ごとの主役が登場し、金儲けを企む小悪党を退治して活躍する。「伊勢講」は庶民の信仰であると同時に、高級腕時計や投資マンションのような扱いを受けていたらしいのも、おもしろい。

一幕目、歌昇丈の奴さんが客席に降りて、敵を追う「追駈け(おっかけ)」「地蔵前」の場、「太々講」の場での貢の叔母・おみね(市川高麗蔵丈)のトリッキーな会話劇。ふむふむと観るうちに話は進み、いよいよ、二幕の遊郭「油屋」の場。貢のキャラは「ぴんとこな」。男臭い二枚目。ウデに覚えがある故、手が早い。悪意に晒され、我慢に我慢を続ける彼を名刀「青江下坂(あおえのしもさか)」が狂気に誘い込む…。

三幕目の演目は、松緑丈のおちゃめな舞踊劇『喜撰』。お相手の梅枝丈はびっくりする程、綺麗だった。『喜撰』は清元と長唄の連中が同時に舞台に並んで、掛け合いで演奏する曲。長唄三味線の軽快さをより、強く感じた。

土曜の夜の部のせいか、客席には男性の姿が多く、ご夫婦で着物はもちろん、男同士着物のふたり連れもお見かけした。


【おまけ・無我とは?】

・福岡貢の狂気はある意味、無我?

・市民マラソン。トップ争いをする上位選手のゴール前のダッシュは無我の状態

・陶芸家は無我の境地で、ロクロに向かう

・画家の雪舟は風景に点々で苔を描き添えている。かっこ良く描きたいという己の欲に気がついて、点を横棒で塗りつぶし、おなぞりした跡がある。大家とて、時には無我を見失う。※プチ情報:京都の博物館で2024年春・雪舟を紐解く展覧会あり

・趣味の長唄三味線。緊張する発表会の当日は「いつも、間違えるところを注意しなくちゃ!」とか、「苦手なフレーズ、音が出るかしら…」などと、前頭葉フル回転でやると、執着心がわざとらしい音にしてしまう。我欲を捨て、無心で取り組むべし

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