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錆びた“心の鋼”を磨く

先日、こんなつぶやきをしました。

復活しようと思った理由は、いくつかあります。
別の投稿でも綴っています。

休止していた4ヶ月ほどの間に、何度か“復活”を試みたのですが、なかなか行動が進みませんでした。
よくある言い訳ですが、「時間がない」とか「気持ちの余裕がない」とか。
私的に、僕が大切に思う人が倒れられて、生きる道を迷う日が続いたこともありましたが、どんな理由も言い訳にすぎませんでした。

だけど、腰を上げるきっかけを得ました。

先日、某中学校で、社会人講師として、学生さんたちに講話をする機会をいただきました。
この講話の機会は、6年前にもいただきました。
筆文字作家として駆け出しの頃でしたが、お話をさせていただいて、学生の皆さんからも好い感想をいただきました。
その時は、いただいた50分の大半を、僕のお話に費やしました。

6年の日々が過ぎて、今は“筆文字の先生”もしているので、今回は10分ほどのお話をした後、学生さんたちに筆文字体験をしていただこうと思いました。
「前回の5分の1」なので、プレッシャーもあまり感じませんでした。
だから、お話の骨子を組み立てておいて、直前の1週間で内容を詰めることにしました。

ところが、いざ原稿を準備していると、伝えたいことが次から次へと出てきます。
そして、気がつけば、30分かかるくらいの長さになっていました。
「体験の時間が短くなる!」と焦り、どんどん、“伝えたいこと”を断捨離していきました。
さらには、講話の前日に、内容をすべて組み直そうと思い立ったのです。
そして、前日の夜に、また原稿を作り直しました。

当日の朝も推敲してましたが、なんともまとまらない内容だと痛感しました。
実際に、学生さんの前で話しているときも、「ほんとうに伝わっているのかな?」という思いが頭の中を駆け巡っていました。

深く反省しました!

「確実に、文章力が老化している!」
「思考回路が錆びついている!」

講話の中でも話したのですが、僕は小学生の頃から、「モノ書きになりたい」と思っていました。
文章力に優れていたわけでもなく、作文(国語)の授業で良い成績を取った記憶はありませんが、“ことば”を綴っていることが好きだったのです。
インターネットというものを始めた直後にも、無料メルマガを発行したり、自分のサイトを作って、エッセイを公開していました。

久しく、長文を書くことから遠ざかっているうちに、頭がバカになってしまっていたことに気がつきました。
いや、心がバカになっていたのかもしれません。

「歳をとったのだから、仕方がないか」と諦めるわけにはいきません。
やはり、人生の最後まで、「伝えたいことば」を伝えきらなくてはいけないのです。

冒頭のつぶやきをしてからすぐに、「父の背中」という投稿をしました。
父の日に合わせたかったので、つぶやきでエンジンをかけて、投稿に至りました。
その後、件の講話の準備もあって、noteの投稿が止まりました。

講話の準備をしながら、自分の文章力の衰えを知り、「もっと、文章を通して発信していくために、文章を書く修練をしていかなくては・・・」と思いました。
noteは、良い機会ですね。
これからも、投稿を積極的に推し進めていこうと思い立ちました。

腰を上げるきっかけになった父の日に感謝です。

講話のことは、またあらためてお話しします。

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