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ネギからのメッセージ

 暗示という言葉がある。
googleで検索すると以下のように出てくる。

1.《名・ス他》それとなしに知らせること。
2.《名》他人の心に無意識のうちに、ある観念を与えるような刺激。 
  「―をかける」

 多くの暗示がそうであるように、それは「何かを知らせる」という風情ではやってこない。
  あとになって、あれは暗示だったのではないかと思ったり、せっかくの暗示に気づかないなんてパターンもありそうである。
 また、勝手にに暗示と受け取って、自ら暗示にかかっていくようなこともあるだろう。黒猫やカラスをみたから不吉だとか言い出す人はそんなことになっているのかもしれない。

 で、僕が受けたであろう暗示がカバー写真である。

 もう少し寄ってみよう

 そう。ネギが打ち捨てられていたのだ。

 愚鈍な凡夫である僕は、せっかく与えらえた暗示に気づかず、ネギを落としてしまった人に同情していた。それが入れられるはずだった鍋のことを、ネギトロのことを、厚揚げのことを、ざるそばのことを悼んでいた。
 そういった犠牲の上に、自らに与えられた啓示のことに思いが向かなかった。
  なんと愚かなことだろう。
     

 ユーミンも言っていた。「全てのことはメッセージだと」



 というわけで、僕はきつ目の喉風邪を引いていて、この原稿もトローチを口に含みながら書いている。

 皆さんも体調にはくれぐれもお気をつけください。

 

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