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ありきたりではないという自己満足

同業者の方には、販促コンペのために頭をひねっている方も多いと思う。僕も頭を無理やりひねるために、昨日は猫カフェに行ってきた。
まあまあの思いつきくらいのところまできていると思うが、まだ「企画」としては一捻りが必要かなと思っている。頭だけでなく、捻ることができる部分は捻ってよいものにしたいと思う。

企画については、頑張るとして猫カフェは最高だった。
昔いった猫カフェでは、さまざまな決まりがあり、疲れ果ててしまったけれど、昨日行ったMOCHAはスペースも広いし、猫がまったりしていてよかった。企画のヒントを得るためにいったのだけれど、すごくリラックスできて良い気分転換になった。疲れも取れた気がするし、行き詰ったときにはまた行こうと思う。
猫を飼ったことがないので、いまいち接し方がわからないのが難点ではあるけれど。

ところで猫カフェには猫じゃらしが置いてあって、猫との親交(?)を深めるために自由に使うことができた。
これを使えば、猫たちにもてもてだろうと思って使ってみたのだけれど、最初はびっくりするくらい相手にされなかった。
動かしかたや、距離感などいろいろ工夫してみたのだが、ぜんぜんダメで諦めて猫じゃらしを持ったままぼーっと座っていると、ものすごい勢いでライオンみたいな風格のある猫が僕の手元にアタックをかけてきた。
少し反応が遅れてしまったが、とっさにその猫をよけて、もう一度猫じゃらしで誘ってみたが、それには無反応だった。
どうもやたら動かすよりも、ただ置いておくくらいの方が反応がいいらしい。

今度はあまり動かさず、でいながら、いつアタックされてもいいように猫じゃらしに神経を集中させていた 。

少し時間が経つと、また別の猫がアタックしに来た。猫じゃらしに猫の手が触れるか触れないかのところで、ひらりと避けてみた。
僕の予想では、避けた「じゃらし」をその猫がさらに追いかけて、そうしたらまた避けてというチップとデール的な(この例えは違うか)ドタバタ感が味わえると思ったのだが、あっさりと無視されてしまった。

他の人がどうしているのか参考にしたかったのだが、どうもまったり猫を愛でるタイミングだったのらしい。
じゃらし使いの技術を盗むことはかなわなかった。

仕方がない。僕も企画者の端くれだ。猫の気持ちになってみることにしよう。
猫は気まぐれだなんて話をよく聞く。犬のようにいつでもフルスロットルで遊びたがっているわけではないらしい。

そんな猫が、猫に慣れていない不審な男性の持っているじゃらしに来てくれるということは、遊びたいというよりも単純にじゃらしを触りたい、あるいはじゃらし自体をネズミのような獲物と勘違いして真剣に奪いに来ているのではないかと。

そんな仮説をもとに、今度は猫がきたときに、じゃらしを「少し触らせて」から、別の方向に動かしてみることにした。

この方法はビンゴだったらしい。猫に受けに受けた。イメージ通りのどたばた劇を味わうことができたのだ。これぞ猫カフェである。

ここではたと気づいた。

この「猫の気持ちをつかむための工夫」は、実は企画にも通ずるのではないかと。
われわれ企画者はおもしろいことをやろうと力を入れるときに、発想を飛ばし過ぎていて、じゃらしを触らせる過程をすっ飛ばしていることがあるのかもしれない。ありきたりではないものというのは、あるいは自己満足ではないか。

消費者視点を得ることは簡単ではないが、想像力を駆使して向き合っていきたい。
頭を捻りすぎて、一回転してしまえば、それは何も頭を捻っていないことと、遠目には一緒なのだ。

何を言っているかわからなくなってきたので、今日は早く寝て新鮮な頭でまた企画に臨みたいと思います。






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