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「くるり」について

noteってなんやろ?とまったくわからないまま、とりあえず使い始めてみる。

僕が大好きなバンド、くるりのファンクラブがこのnoteで運営されることになりました。それでnoteなるものを始めて知ったわけです。

noteを始めるきっかけになった、くるりについて書いてみましょう。

一番初めにくるりを知ったのは、中学生の時に偶然試聴したワールドイズマインというアルバムがきっかけです。たしか、1曲目はGUILTYという曲だったと思うのですが(違ったらすみません)、この曲の歌詞と構成に、今までJPOPしか聞いたことのなかった僕は衝撃を受けました。そして、同アルバム収録のGO BACK TO CHINAという曲、ずっとこの1曲をリピートして聞いていた記憶があります。(興味持たれた方、ぜひワールドイズマインを手にとって、そして聞いてみてください。)

そこから、過去のアルバムを遡って聞き、また新しいアルバムは出るたびに聞いてきました。

僕が、そして多くの人たちが、なんでこんなにくるりに惹かれるのか、齢28にしてなんとなく分かってきた気がします。

くるりは自らの音楽体験、人生体験をダイナミックに表現している。

最近の音楽は「こういう音楽は、今までになかったもんやろ。」とトップダウン的に、頭で考えたものが多い気がするんです。

くるりは違うように感じるのです。
いや、もしかしたら岸田さんの中にはそういった打算があるのかもしれませんが。。

僕の感覚的には、ボトムアップ的に音楽を作っていっている気がするんです。

アルバムごとに、音楽性が変わることで有名なくるりですが、その時その時で影響を受けている音楽を消化して、自らの血肉と化した状態でアルバム制作に臨んでいるのではないでしょうか。そして、アルバム「坩堝の電圧」に見られるように音楽だけでなく、人生体験も音楽に編み込まれ、より深く濃厚な世界観を作り出しています。

いや、もちろんいろんなアーティストも「これは、何々の出来事にインスピレーションを受けて作った曲です。」とかそういったものはあると思うんです。友達が亡くなったとか、それっぽい歌詞がついた曲は腐る程ありますし。
ただ、結局は自分の固まった音楽フォーマットの中で表現しているに過ぎないのです。(歌詞も聞いたことあるなって感じのものばかり)

くるりは歌詞の世界だけでなく、音楽そのものにおいても、自分の体験、感覚を表現している稀有なバンドだと思います。

何故こういったボトムアップ的なものに僕が共鳴するのか。

これって、僕らがなんで生きてるのかってところにも繋がってるからやと思うんです。(変な話になってきましたが、この文章を読む人もいないと、思うので続けます。)

なんでしょーもない俺が生きてるんやろうとか、この歳になると色々考えるようになってきましたが、これだけ多種多様な人がこの世界で生きてる理由って「俺には、世界はこういう風に見えるで、こういう風に感じるで。」って言うためやと思うんです。この感性はどこに還元されるのかはわからないですが、この世界を作っている非常に大事な要素になっていると思うんです。

その感性を、表現するのが芸術だと思います。

もちろん、音、ライブでの演奏のクオリティの高さなど他にも好きになる魅力はたくさんあるとは思いますが、自分が自分であることから逃げずに、音楽に立ち向かっている姿が僕らを引きつけてやまない、くるりの魅力なんだと思います。

#くるり #音楽

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