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『五等分の花嫁』へのキモチ〜四葉の場合〜

『五等分の花嫁』の原作を読んだ当初はのオチがどうにも受け止めきれなかった。それは色々な理由があると思うが、フータローが五つ子の中から「四葉」を選んでいく展開とその変化を上手く読み取れなかったのが一番の理由だと思っている。それでも、今こうしてこの作品が好きだと思えているのは、映画『五等分の花嫁』があったからだ。

改めて、映画を振り返った時に、四葉が選ばれるというオチは変わらないものの、そこに至る気持ちの描き方は映画ならではの魅力だと思う。特に四葉の感情の変化をいかに伝えていくかという事にその演出が注力されていて、それは、四葉が自分の想いを五つ子にぶつけていったように、見ているこちらも納得させられていくような演出だったと感じている。

まずは四葉というキャラクターをおさらいしつつ、映画の中で彼女の気持ちがどのように見えていったかを振り返っていきたい。

四女・四葉はお人好しという言葉がぴったりな女の子だ。自分の事は後回しにして、とにかく他人のために尽くそうとする。ちょっとやり過ぎじゃないかと思うくらいに他人のために動けるそんな姿は魅力的だ。それでも、そんな姿は彼女の天性のものではない。自分は特別であっちゃいけない、誰かのために生きるのだという「呪い」が「お人好し」という言葉に姿を変えているだけなのだ。そんなきっかけは彼女の過去にある。

5年前の京都での修学旅行で、偶然にもフータロー出会った。お互い貧乏だけど、フータローは妹・らいはを、四葉は母親を楽させるためにいい会社に入るためにお互い勉強を頑張ろうと誓い合う。すぐにはテストで良い結果は出ないものの、「少しずつ良くなっているんだ!」、フータローも勉強を頑張っているはずと自分を励ましていく。だが、そんな彼女の努力も虚しく、思うように成績は伸びていかない。一方で、他の五つ子が成績を自分より良い点数を取る事もあり、勉強を頑張る意欲を段々と失っていく。

そんな彼女が次に目をつけたのは部活。持ち前の運動神経の良さを駆使して、野球部、バスケ部の助っ人として好成績を残していく。当然、勉強はどんどん疎かになっていく。

結果、彼女は進級がかかった期末試験で赤点を取り、担任教師から落第を言い渡される。多重入部への注意勧告もあったはずなのに、それを無視していた事もあり、部活での好成績は一切認められず、落第は避けられなくなる。そんな状況を見兼ねた義理の父・マルオは彼女だけを別の学校に転校させる事になる。勉強を頑張り、それがダメならと今度は部活を頑張ってきたはずなのに、それすらも報われない。フータローとの約束はもう見えなくなり、何のために頑張っていいか四葉は目標を見失ってしまう。

だが、他の五つ子はそんな四葉を見捨てない。亡き母親からの遺言である「どんな時も5人一緒にいることが大事なのだ」に従い、四葉と共に転校する道を選ぶ。ここでようやく四葉は自分がずっと間違っていた事に気が付く。勉強や部活を通じて、五つ子の中で誰よりも目立つ私= 特別でありたいという理想が他の五つ子に迷惑をかけてしまった。これからは自分のためではなく、誰かのために生きようと決める。そんな決意が、転校先の学校でフータローに再会した事、そんな彼は5年前の約束をを忘れずにいる事、そして、他の五つ子が彼に好意を抱き始める事を通じて、段々と四葉を苦しめる「呪い」となっていく。それは、5年前からずっと彼を想っている気持ちを、「自分は特別であっちゃいけない」という彼女の本音を遮ってしまう。そんな本音を押し殺しつつ、他人のために生きるのだとフータローの家庭教師に積極的に協力してきた。何とか自分の気持ちに折り合いを付けながらも、フータローと五つ子との関係性を保ってきたのがここまでの四葉だ。

映画を通じての彼女は、ただのお人好しだと思っていた四葉が、その内面には闇を抱えていて、葛藤している姿が印象的だ。四葉にとって、自分は特別であっちゃいけない、誰かのために生きるのだという決意はある意味で彼女にとっての理想的な自分の生き方だったかもしれないけれど、それも少しずつ綻びを見せていく。

それが顕著に見えている映画でのシーンを挙げたい。

文化祭初日で五つ子の中の誰かに想いを告げるとフータローが宣言した翌日、彼の幼馴染の女の子・竹林が文化祭に姿を表す。そんな彼女は、「小学生の頃のフータローに勉強を教えていたのは自分なので、教え子の五つ子たちよりも自分の方が彼と深く関わっているのだ」と話す。これを見兼ねた四葉は、「私だって上杉さんのことを想っている」と言い出そうとするも、五月の「確かに関わった時間では負けてしまうが、その関わりの深さでは負けるつもりはない」という強気な返答に遮られて、その言葉を口に出さないままその場を立ち去る事になる。

そんな四葉を見つけ出した竹林は、5年前の修学旅行で出会った女の子が四葉である事を確認し、その事実をフータローに告げなくていいのか?と聞くが、そんな提案を四葉は突っぱねてしまう。

がっかりされたくないんです… 上杉さんはずっと正しく努力してきたのに 私は無駄なことに執着した意味のない六年間でした

(注1)

彼に自分の想いを伝える以前に、5年前の約束を守れなかった。そんな失敗がいつまでも彼女を縛り付けていて、この6年間はもう取り消せないけれど、それでもフータローと五つ子のそばにいたいから、誰かのために頑張り続けていたのだろう。そんな彼女の葛藤が伺える台詞だ。

続いては、文化祭で休憩所を作ろうとフータローが1人で準備を進めるシーン。元々体力に自信のない彼は、作業中にフラついてしまうのだけど、それを見かけた四葉が支えようとする。彼女に助けられたフータローは「四葉がいてくれて助かった」と話す。そんな言葉を受けて彼女はあっさりと「持ちつ持たれつなので気にしないで」と答えるものの、内面ではこうも考えている。

こちらこそ 上杉さんに認められただけで 全てが報われる気がします

(注2)

上杉さんが答えを出すまであと二日… 今日みたいな日が過ごせるのもきっと そう… でも…もし…私を選んでくれたら

(注3)

隠しきれない彼への想いと淡い期待を感じさせる。五月を除いて、一花、二乃、三玖の3人はそれぞれの形でフータローへの好意を分かりやすい形でアピールしていたように思うが、四葉の場合はさりげないのだ。だからこそ、いざその気持ちが見えた瞬間にグッと来るものがある。

それでも、自分が特別であっちゃいけないという「呪い」が彼女に牙を剥き、その思いもかき消そうとしてしまう。それが一番顕著に表れているのが、保健室での告白シーンだろう。フータローが自分の元にやってきた事を全く受け入れようとせず、自分なんかは勿体無いので他の五つ子の所へ行くように話を逸らしてしまう。自分を選んでくれたらという期待はあったはずなのに、肝心の場面ではそんな気持ちをあっさり否定しようとする。

それでも、フータローは諦めず、四葉の気持ちを聞きたいからここに来たと告げる。そんな追求に耐えきれなくなって、彼女は逃げ出す。懸命に彼女を追いかけた末、彼女を選んだ理由を話す。

だが お前がいなければとっくにつまずいていた(中略)俺は弱い人間だからこの先何度もつまずき続けるだろう(中略)その時には四葉 隣にお前がいてくれると嬉しいんだ 安心すんだよ お前は俺の支えであり 俺はお前の支えでありたい

(注4)

この直前の追いかけていくシーンで、四葉が様々なイベントを通じて「後悔のないようにしましょうね」とフータローにかけていた言葉がフラッシュバックするのだけど、彼女の「誰かのために生きるんだ」という姿勢がいかに彼にとって救いになっていたのかがよく分かる。

先ほど、フータローに認めてもらえたら全てが報われるという台詞を引用したけれども、まさにそれは的確だと思っていて、四葉にとっては「呪い」だった生き方も、彼を支えていたという事実でその生き方も間違っていなかったと受け止められるのではないだろうか。それは、5年という長い歳月をかけて、ようやく彼女は自分の過去から抜け出せたのかもしれない。だからこそ、僕はこのシーンで思わず泣いてしまった。

「自分は特別であっちゃいけない、誰かのために生きるんだ」と自分にかけてしまった「呪い」に葛藤する四葉だけど、それでも乗り越えて、そんな「呪い」を自分なりの強さに変えた姿が、今回の映画で彼女を魅力的に感じた理由だ。

ここまで振り返ってきたように、四葉の気持ちをピックアップするだけでもこの映画の魅力は伝わると思う。それでも、よりその感動を増幅させたのは映画ならではの演出があったからで、僕の中に印象的に刻まれているのだと思う。では、ここからはそんな演出が冴え渡っていたシーンを取り上げたい。

まずは直前でも取り上げた保健室での告白シーン。フータローからの追求に逃れる四葉だけど、映画ではここに冒頭で紹介した彼女の過去が挿入される。原作では時系列で言うと、文化祭よりも前のタイミングで描かれるのだが、なぜ映画はこのタイミングなのか?その理由を脚本担当の大知氏はこう話す。

一つ、難しいなと思ったのは、四葉の過去です。どうしても嫌な子に見えてしまうので、どうしようかと迷ったんです。ただ、あの頃の四葉があったからこそ姉妹を優先する子になり、風太郎に告白されたときもふさわしくないと保留するきっかけになるので、四葉の黒い部分は黒い部分としてちゃんと見せることにしました。過去編をどうするかは映画でいちばん悩んだところですが、ちゃんと描いたことで四葉に深みが出たかなと思います。

(注5)

確かに、「五つ子の誰よりも自分が特別でありたい」という四葉の姿はあまり良い印象ではないだろう。それでも、そんな失敗があったからこそ、今の彼女がある。どうしても四葉というキャラクターとフータローに選ばれる展開を描くにあたっては外せないピースだ。ここに過去シーンを挿入する事で、「自分が特別であっちゃいけない」という「呪い」とそれでも彼を諦めきれない気持ちの葛藤がピークに達すし、フータローへの想いを貫くという大きな選択をする。それと同時に、自分にとって「呪い」だった過去を乗り越えていく意味合いも重なってくる。そういった意味が大知氏が語る「深み」だと思っている。

また、そんな自分の気持ちに正直になれた彼女を真剣にサポートしていくかのような演出も良い。

1つ目に挙げたいのは、フータローに選ばれなかった三玖が四葉に変装するシーン。どうしても諦めきれなかった三玖はお得意の変装で「私が選ばれなかったのなら、私が四葉になり変わって選ばれるのはありだと思うけど、どう?」と四葉に尋ねる。ただ四葉のトレードマークである緑のリボンを付けただけの雑な変装なのに、四葉は変にツッコミを入れる事なく、真面目に考えて、「倫理的にダメじゃないかな?」と返答する。このやり取りはどう考えてもギャグパートだと思う。

実際、原作を読んだ時はクスッとなってしまい、笑ってもOKな所だと思った。それでも、映画は四葉の「倫理的にダメじゃないかな?」というセリフのみで、「笑ってもOK」だと思わせる効果音は付けない。むしろ、その真面目なやり取りに笑いは挟み込まない。(2回目以降はそういう真面目さが1周回って面白かったのだけど)

その後のカラオケでの四葉と三玖との会話、そして四葉が選ばれた結果が消化できていない二乃への「彼を思う気持ちは誰にも負けてない」という決意を思うと、先ほどのシーンであえて笑いを挟み込まない事で、五つ子との関係性に悩みつつも、それでもフータローが好きだとい気持ちを貫きたい四葉の真剣な想いを増幅させる効果があったと感じている。

あえて茶化さない演出は5年後の結婚式でも見受けられる。

挙式を終え、披露宴への準備が進む中、大人になったフータローが四葉をちゃんと見つけられるかという事で、五つ子は同じ花嫁姿に扮装する。何度も彼がチャレンジしてきて、その度に失敗してきた「五つ子ゲーム」もファイナルだ。結果として、フータローは見事に一花、二乃、三玖、五月と四葉以外の五つ子を順番に当てていく。そして、最後に残ったのが四葉だとなる訳だけど、原作では最後まで残っているのが四葉しかいないから、「最後に残ったのが四葉だ」とちょっと雑に終わらせてしまう。

だが、映画は茶化さない。最後まで残ったからという雑な選び方はしないで、「お前が四葉だ」と当て、彼女の薬指に結婚指輪を通す。ちゃんとフータローは四葉を見分けられている意味合いも当然あると思うのだけど、この演出が結婚式後のシーンに伏線として活きてくる。

無事に式を終えたフータローと四葉に式場スタッフが忘れ物があると四葉のトレードマークの緑色のリボンを渡す。四葉は一瞬受け取ろうとするものの、「もう要らないので捨ててください」と告げる。「トレードマークなのに捨てて良いのか?」とフータローは尋ねるが、彼女はその理由をこう返す。

どんなにそっくりでも…私に気付いてくれる人がいるから

(注6)

五つ子ゲームファイナルで「最後まで残ったから四葉だ」という雑な選び方ではなく、ちゃんと自分だと気付いてくれたからこそ、彼女はトレードマークを捨てられたのだ。それは、フータローにとって彼女が「特別」だから見分けられたのかもしれない。

かつて四葉は、五つ子の輪から抜け出して「特別」になろうとして、失敗してしまった。結果的にそれも報われたから間違いではないと思う。だが、それと同時に「特別」はなろうとしてなるものではなくて、いつの間にか「特別」になっているものなんじゃないかなとこのシーンを振り返って考えている。

どちらの演出も原作があった上のものであって、映画の方が優れているという訳ではない。これは言い方が難しいのだけど、僕は映画なりの「解釈」が好きだ。そんな「解釈」を通じて振り返る四葉の気持ちは原作で読んだ時よりも、何倍もグッと来るものし、彼女がフータローに選ばれると同時に、過去から抜け出していく姿がなぜか自分の事のように嬉しく感じられた。

間違いなく、この「解釈」がなかったら、原作を読み直したり、映画を何度も見に行ったりはできなかった。改めて、映画『五等分の花嫁』があったからこそ、僕はこの作品をこんなにも好きでいられるのだ。

▼注釈
注1 春場ねぎ 『五等分の花嫁』13巻  2021年 講談社 p 67
注2     同上 p56
注3     同上 p57
注4  春場ねぎ 『五等分の花嫁』14巻  2021年 講談社 p 20-21
注5 映画『五等分の花嫁』パンフレット 2022年 ポニーキャニオン p20-21
注6 春場ねぎ 『五等分の花嫁』14巻  2021年 講談社 p 194

▼参考資料
春場ねぎ 『五等分の花嫁』フルカラー版 2021年 講談社
神保昌登監督 映画 五等分の花嫁 松岡禎丞 花澤香菜 竹達彩奈 伊藤美来 佐倉綾音 水瀬いのり出演 2022年 ポニーキャニオン
映画『五等分の花嫁』パンフレット 2022年 ポニーキャニオン

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