楽章を越えて:全体の意識がもたらす変化 〜日本語教育とピアノの共通点〜
何となく気分が乗らずnoteを書く手が止まっていましたが(作家か❓🤣)、
昨日思いがけず感動したことがあったので、思いに任せて書いてみちゃいます😊
それは、きのうのピアノのレッスンでの先生の一言。
お盆休みもあり、お休みモードで練習不足の私はレッスンをお休みしそうになりましたが、ここで休んだらきっとのちのちの練習に影響があるだろうと勇気を出して出かけました。
結果・・・
行って大正解!
来年の発表会で演奏するのはベートーベンのソナタ。
ソナタは3楽章からなっているのですが、私が弾くのは第1楽章。
1楽章から2楽章へのつなぎ方、さらには3楽章への切り替え。
難しさは技術や表現などいろいろありますが、
先生の何気ない一言がとても強烈に響いたのです。
「第3楽章を弾くために第1楽章があるんです。」
(*これは3楽章が一番重要ということではなく、3楽章まで弾いて曲が完成するという意味です。)
全楽章の中での各楽章の位置づけがあって、全楽章がわかった上で、1楽章、2楽章を弾く。
これまでも全楽章を弾いてきたけれど、そう考えてあまり意識をして弾いたことはなかった・・・
すご~く細かいマニアックな話ですが・・・
第1楽章の最後は休符にフェルマータ(十分に伸ばす)がついているんです。
十分に余韻を持たせるために。
でも伸ばし過ぎもダメなので、自由な難しさがあるのです。
その余韻の世界観を持った流れで次の楽章に進む。
ゆったりした調べで第2楽章。
余韻を残しつつも切り替えて第3楽章へ。
一つ一つの音の長さの意味、付点や休符の意味。
簡単な4分音符を疎かにしていけないなどなど。
楽曲自体にものすごく壮大なストーリーがあって、一つひとつの音にすっごく濃い~意味があるのです。
同じ楽曲を学生のころにも弾きましたが、その当時はテクニックばかりで曲の深いところまで理解することはしていなかった。
いや、たぶんできなかったと思う。今だから、よくわかるのかもしれない。
楽曲の分析なんて一度もしたことがなかった(もちろん趣味レベルだから・・・)
「全体の中でのその楽章の位置づけ」
先生のその一言に私は
あ~、やっぱりそういうことなんだな~
と大きくうなずくと同時に背中を押されたようにも感じました。
日本語教師も同じで、全体がわかった上で各文型を教える意味があるということ。
だから一つの部分だけよくできてもいずれ頭打ちになって、なかなか伸びない。
全体が見えている・理解できているということは、最大にして最重要だということなんですよね。
・全体が見えているからこその緩急
・全体が見えているからこその小さいポイントの大切さ
・全体が見えているからこそのちょっとした気づき
ピアノと日本語教育
全く別物ですが、でもこれはこの2つに限らず
全て同じ
だということなんだと思います。
私は常々、養成の受講生の方に「全体を観る」ように「初級概観」を意識することの必要性をお伝えしています。
私の中では「初級概観」は、いたって当たり前のこと。
全体がわかっていたら、今何に絞って教えたらいいかが見える。
何気ないことなのです。
私のピアノの先生も常にそういう意識の中で演奏していらっしゃるのだろうし、レッスンをしていらっしゃるのだろうと思いました。
日本語教育の中で初級を大切にしている私は、この初級概観をとても重要だと考えています。
練習不足が本当にいい勉強になったレッスンでした。
新たな課題がまた見えて、全楽章を今一度弾いてみて、1楽章のレッスンを始めたら、今までとは違う弾き方ができるような気がします。
いや、きっと絶対できる✨
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