見出し画像

河童を探しにきたぞ! 大分県竹田市の神曲を奏でる男と軍神

我々の目指す地、竹田市は、その歴史と伝説に彩られた地。ここはあの滝廉太郎の出身地でもある。彼が作曲した心揺さぶる曲、荒城の月は、竹田市の美しい岡城がモデルとされている。そして、天空に浮かぶかのような竹田城とは異なる場所に位置する。そう、竹田市は古くは岡藩の地で、岡城と竹田城の二つが共存する風景は、訪れる者を魅了する。

我々が訪れる岡城への道路には、うまく計算された細工が施されている。そこで自動車を運転すると、まるで魔法のように荒城の月のメロディーが響き渡る。だが注意せよ、このメロディは制限速度で走らなければ、正確な旋律を耳にすることはできない。これぞ真の技巧、巧妙の一言だ。

さて、岡城の近くに立つのが、日露戦争の英雄、廣瀬武夫を祀る廣瀬神社である。この広瀬武夫という人物は、司馬遼太郎著の『坂の上の雲』にも登場する軍人で、日本帝国軍の一員だった。ロシアに滞在中にはロシアの女性と恋に落ち、強靭な体を持つロシア人を柔術で投げ飛ばしたというエピソードが伝わっている。彼がロシアに広めた柔術は、後にロシア大統領プーチンも修得するまでに至った。

日露戦争時、沈みゆく駆逐艦からの脱出を試みる際に、部下の杉野を探しに戻り、その途中で砲弾を受けて英勇にも命を散らした。彼が発したとされる「杉野は何処!」の言葉は、感動的な歌詞となり、日本中の小学校の教科書にも記されている。

陸軍の乃木希典、橘周太、海軍の東郷平八郎と並び、廣瀬武夫は日本の軍神となった。彼(そして杉野)の像は東京に建てられ、長らく人々から敬愛されていたが、太平洋戦後、戦犯とみなされ、撤去されてしまった。本人の意志を超えて神格化され、またその座から引きずり降ろされた彼の運命は、死後もなお波瀾万丈だった。

しかし、私たちが竹田市に来たのは、この地に伝わる軍神の物語をたどるためだけではない。河童を探しに来たのだ!だが、この旅では、まだその姿に出会うことはできなかった。だが心配せよ、また訪れる。その時にはきっと、竹田市の軍神とともに、河童に出会うことができるだろう。

広瀬武夫の像

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは河童活動に使わせていただきます。