見出し画像

シルバーウィークですので...思い出話を

高1娘の10月の学校での面談を前に「第一回進路会議」を家族で開催。
娘曰く、やりたいことはたくさんあるが、ありすぎてキャリアパスを描くのが難しいとのこと。とりあえず苦手な数学を中学からやり直します。


ところで、私自身は全くキャリアとか言っていられない経歴なのですが、実はお勉強は得意系ASDでして、高校生のころまではいわゆる「進学校」に通っていました。

親や祖父母は、私が当然文学系の大学へ進んで「キャリア」と言うものが意味を成す仕事に就くものと思っていたことでしょう。しかし、ある決定的な出来事があって、私はそのラインから大きく逸脱することになりました。

とはいえ、別に事件でもないのでさらっと書いてしまいます。以下思い出話です。

今から30余年前、私が今の娘ぐらいの歳に、やはり「進路希望調査票」がやってきました。そこで「この子の進路どうする?」という家族会議が持たれました。

大正生まれの祖父は「この子は大学に行かせて先生にすりゃあいい」と言いました。「そしたら家から出ていかんで済む。婿はワシが見つけてきちゃるけん」

祖父が私を大変かわいがってくれているのはわかっていましたが、そこはやはり大正生まれ。ちょっとひどい!と高校生だった私は思いました。

同じく大正生まれの祖母は「いやこれからは女子だってちゃんとした仕事に就ける時代。」と言いました。「この子は東京に出してみようや。(国家)公務員試験を受けさせたらいい」

さすが若いころはモガと言われた祖母です。女の子だからといって家に縛り付けようとはしないのですね。でも私別に都会にあこがれてなんかないしな...。公務員の仕事も別に興味ないや。

母は…と見ると
「私は進学させてもらえなかったのに、あんたは幸せじゃなあ!」
ええ…なんか怒ってらっしゃる…。

高卒で地元の銀行に勤めて、親の決めた相手と結婚した母には何か祖父母に対して含むところがあったんでしょうか。その後、家族会議は何か些細なことで母と祖父が言い合いを始めてしまい、うやむやのまま終わったのでした。

さて後日、私は祖母に聞きました。
「国家公務員って、どういう仕事するん?」

祖母は言いました。
公務員の仕事は様々だ。配属されたところで与えられた仕事をする。失敗しなければ、年限で地位が上がっていく。給料も上がる。産休もあるから、結婚しても続けられる。女には一般企業に勤めるよりずっといい仕事だ。

私「仕事をすれば地位が上がる?地位が上がるとどうなるの?」
祖母「いい仕事が振られるようになる。」
私「いい仕事って?」
祖母「上の仕事。30年も務めて認められれば日本の大きな決め事を牛耳ることもできる。大の男が頭を下げてくるようになるんやで。」
私「頭を…」
祖母「そうや、だからしっかりと勉強しよ。今の学校で1番か2番ぐらいになるんやで…」

今の成績からトップを目指すには、好きな絵を描く時間も、部活動の時間も削らねばならないでしょう。頑張って大学に入って、頑張って省庁に入って、頑張って仕事して認められたら、もっと責任の重い仕事が増える?大変な目に合うために頑張るの?

意味が分かりません。

人の上に立つことも、権限の大きな仕事をすることも、私はまったく興味がありません。なのに頑張って頑張って得られるものが、もっと頑張らなきゃいけない仕事だなんて...。

今思えばASDだからというのもあったのでしょう。人の輪の中でポジションを取るという事の「価値」が私にはわかっていなかったのです。(今もわかりません。)

結局、私は家族の反対を押し切り(正確には"無視して")、美術系の短大に進みました。絵を描いている人たちのことが好きだったし、頭の中に描いたものをこの世に出現させるのが面白かった。この世にあってほしいものを自分の手で作る、それは私にとっては、とてもわかりやすい「価値」だったのです。

今でも私の選んだ道は間違っていなかったと思っています。漫画家やコラム書きが向いているとは思ってないですが、公務員はもっとダメでしょう。早晩リタイヤしていたに違いありません。

しかし、娘が高校生になるぐらいの歳になると、当時の祖母がどれだけ父権的な社会で悔しい思いをしていたか、お勉強の得意な孫にどれだけ期待していたかがわかる気がしてくるのです。

祖母はもう鬼籍に入って久しいですが、もう少し彼女が若かった頃のことを聞いておけば良かったな…と思う敬老の日なのでした。


読んでくださって有難うございます。もしサポートを頂けましたら、自閉症・発達障害の当事者支援活動と、画材の購入に使わせていただきます。