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ちょいちょい開催されるお寺の奥さん向けの研修会は、思いの外面白いという話。

「寺族婦人会(じぞくふじんかい)」というものなのですが、お寺に携わる家族?のことを「寺族」と言います。
寺族の婦人、つまりお寺の奥様方向けの研修会が数ヶ月に一度行われています。

看護師業をしていたこともありますが、これまで
「婦人会」というアナクロリズムな名に
何となくそこに属したくない反抗心(ごめんなさい。)のようなものもあり、結婚して数年はほとんど携わっていませんでした。
しかし、知りもせず批判は愚かな行為だと心改め、お寺のことに前向きに携わるようになり、研修会にも参加するようになりました。

そんな愚かな私に
九条武子さまーそにご生涯とお念仏ー
という研修があるご縁をいただいたのです。
この方なんと、本願寺派における「仏教婦人会」の創設者だったのです。ドンピシャ
勉強しなさいってことだな。

九条武子さんとは


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E6%AD%A6%E5%AD%90

九条武子さま。
本願寺という巨大で強力なバックがある環境で、そこに甘んじることなく与えられた環境を最大限に活用し「教え」を行動化され、苦しむ人々に尽力した方。という印象を受けました。

17歳 真宗婦人会(のちの仏教婦人会)の創設
21歳 仏教婦人会連合本部本部長就任
34歳 京都女子高等専門学校(現京都女子大学)
37歳 六華園(救済活動、児童愛護)園長就任

この経歴を見るだけでも、そのご尽力に頭が下がります。

経歴から感じた武子さまのご尽力。
そのご尽力を最も感じたのは、社会活動へのバイタリティの陰で、42歳で敗血症で亡くなられていたことです。
今現在の私の年齢と同じ。
42歳という若さで敗血症で亡くなるなんて、よほどの衰弱状態で免疫機能が低下していたと思われます。

そこまでして…

我が健康を顧みず救済、社会活動に奔走した武子さまのその行動の根源には「阿弥陀様のお慈悲」があったということが、武子さまの和歌に表出されているそうで研修会の中で紹介があった歌になります。

大いなる ものの力にひかれゆく 
      わが足あとの おぼつかなしや

『無憂華』

ここまで教えを実践し力を尽くしてきた武子さまでさえも、自身の力を憂うことがあるなんて…

丸腰で 嫁いだお京 四十二歳 
        お前はもっと しっかりせぃ

寺嫁お京の初歌

お尻を叩かれるような研修会でした。

九条武子さまの生涯を通して、この研修会に参加する諸先輩方の背を後座から望み
「婦人会」という名の向こう側にあるものをどれだけ私は見ようとせずにきたのか…。

私は一体何に手を合わせているのか。
これから何を実践していくのか。

そんなことを思わずにはいられませんでした。

他の研修でも必ずご法話はあり、その度に襟を正し生き方を問われるそんな寺族婦人の研修会が今では結構好きです。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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