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異文化コミュニケーションはつらいよ

てりたまです。
監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めました。
パートナーになる前の4年間、アメリカに駐在しました。
現地の日系クライアントをお世話する、いわゆるジャパンデスクです。

アメリカで目撃した異文化衝突の最前線

監査法人の駐在は、一般企業とちょっと違います。
監査法人は現地のネットワークファーム(提携先会計事務所)に赴任します。一般企業のように子会社に行くわけではなく、日本の監査法人との間で上下関係はありません。

ジャパンデスクの仕事はいろいろありますが、日系クライアントの日本人社長と現地の経理責任者(経理部長など)との対立に巻き込まれることもありました。

親会社から来ている社長は、私のことを駐在員仲間だと思い、腹を割って話していただけます。
一方、現地の経理部長は、私をアメリカの会計事務所で働いている人だと思っているので、遠慮なく社長への不満の言葉が出てきます。
そのため、社長からは「うちの現地社員は、一から十まで説明しないと動かない」、経理部長からは「うちの社長は何を考えているのか分からない」と同じ日に別々に愚痴を聞くことがあります。

私は社長には、「そうですね、郷に入れば郷にしたがえで、ていねいに説明するしかないですね」
経理部長には「社長だけでなく日本人の悪い癖ですね。社長が伝えようとされているのは、おそらく…」
と、二枚舌にならないように気をつけながら、何とか仲を取り持とうとしていました。

これはある一社だけの話ではなく、日系企業によく見られた現象です。

ハイコンテクスト社会とローコンテクスト社会

日本は「ハイコンテクスト社会」と言われます。
こと細かに話さずとも分かり合える、「以心伝心」が通用し、「一を聞いて十を知る」ことをよしとする社会です。
日本の中でも、定年まで勤めあげる人が多い会社では、より「ハイコンテクスト」になります。

欧米は逆に「ローコンテクスト社会」です。
日本だと共通理解に頼って省けるところを、いちいち説明する必要があります。「一を聞いて十を知る」どころか、「一を伝えるために十話す」でちょうどいいくらいです。

世界の国々が「ハイコンテクスト社会」と「ローコンテクスト社会」に二分されるわけではありません。極端に「ハイコンテクスト」な国と極端に「ローコンテクスト」な国の間に各国が散らばって存在しています。
この分野の基本書ともいえる「異文化理解力」(エリン・マイヤー著、英知出版)によると、分析されている26か国のうち、日本はもっとも「ハイコンテクスト」、アメリカはもっとも「ローコンテクスト」となっています。
この二つの文化の接点では、すれ違いが起きるわけです。

「コンテクスト」以前のコミュニケーションの前提

ここまではよく言われるところですが、もう一つ、コミュニケーション以前に大きな違いがあると感じました。
それは、日本社会では「どこかに真実がある」前提があって、欧米社会では「(真実などあるかどうか分からないので)理詰めで確からしいものを選ぶ」という前提です。

日本の会社で意思決定する場合、なんとなく確からしい答えがあり、周囲の人たちも「確かにそうだよな」と思えるものであれば、ストレスなく進みます。
もっとも、日本も会議は多く、白熱した議論が行われることもあります。しかし、そこでは冷徹な理屈の勝負ではなく、なんとなくでも「正しそう」「大丈夫そう」と思えるか、という判断軸が支配しているように感じます。

一方、欧米でなんとなく「これでいいよね」という言い方をすると、理屈抜きで結論を押し付けられた、ということになります。そこで対案を含めて議論し、理詰めで結論を出します。

日本では、みんな納得していても深くは議論していないので、なぜそれが正しいかはうまく説明できません。
欧米は、納得感は別として正面から議論して決めたので、検討するべき項目は提示されていて、理由を理路整然と説明できます。

この結果、日本人は欧米人に対して「いちいち説明しないと分からないあいつらはバカだ」、欧米人は日本人に「理由を聞いても説明できないあいつらはバカだ」と不幸な関係に陥ります。

そんなクライアントの社長と経理部長がミーティングしているところに私も入ることがありました。
中立な立場で聞いていると、議論では経理部長の圧勝です。しかし、結論は社長の方が正しそう。社長はうまく説明できていないし、私も理詰めで応援できません。
らちが明かないので一旦お開きにし、後で頭を整理してからアメリカ人に分かりそうな理屈を考えて、社長に入れ知恵したこともありました。

このように、文化の違う国の人たちとのコミュニケーションは、語学だけでは解決しません。発想がそもそも違うことを理解した上で、相手に合わせた話し方をする必要があります。
そんなことを日々学んだ、アメリカでの4年間でした。

超ハイコンテクスト社会、日本の問題

「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」は、善し悪しの問題ではありません。国ごとの違いを踏まえて、スムーズなコミュニケーションをすることが目的です。

ただ、日本には極端なハイコンテクスト社会であるがゆえの弊害もありそうです。二つ挙げてみます。

まず、理詰めで考えて理路整然と説明することが苦手な人が多い、ということです。
これは、監査の現場で、欧米人と議論するときに感じました。
こちらは理詰めで話しているつもりでも、理論構成や背景にある証拠が弱いところを的確に突いてくる。逆に相手の説明は、一見スキがなく、攻めあぐねます。
日本が元気よくがんがん成長していたときは、相手は一生懸命聞いてくれました。しかし相対的な国力低下が進む中、海外のビジネスを伸ばすためには相手の土俵で勝つことが必要です。

もう一点は、いわゆる「忖度」が働きやすいということです。
「忖度」は相手の気持ちを推し量って行動することで、本来必ずしも悪いことではありません。
しかしあまり議論を尽くさずに意思決定すると、「正しそうかどうか」で判断しているのか、誰かの心中を忖度したり遠慮して判断しているのか、分かりません。結果として、忖度と遠慮による意思決定が行われやすいと言えます。

最後にちょっと言い訳

ここまで「日本人は」「欧米人は」と断定口調で進めましたが、当然ながら日本人の中にも、欧米人の中にもいろいろな人がいます。そもそも「欧米人」とまとめた言い方は、当のアメリカ人やヨーロッパ各国の人たちもびっくりすると思います。日本もインドも含めて「アジア人」と言われてもピンとこないのと同じです。

また、日本ではちゃんと議論しない、と言いましたが、理詰めでしっかり議論している会社もあります。
欧米にも忖度も遠慮も存在し、特に強権的なボスの意向に沿った議論をすることはあります。

ちょっと最後に忖度してしまいました。
まずは平均的な特徴を理解した上で、実際のコミュニケーションでは状況を見ながら微調整することが有効ですので、ご了承いただけると幸いです。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は特にご異論が多いところもあると思います。この投稿へのコメントや、Twitter(@teritamadozo)などでご意見をいただけると幸いです。
これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

てりたま

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