大学数学で心折れた人は○○を読もう
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大学数学で心折れてしまったみんな~~~~~~!!!あちまれェ!!
こんにちは!数学科に入って自尊心が木っ端ミジンコになってしまった男、赤池エアです!
突然ですが、大学でやる数学ってべらぼうに難しくないですか?
僕の感覚としてはこんな感じでした。
入学直前3月の僕「大学の勉強難しいって聞くから怖いぃ……」
大学1年生4月の僕「行列?意外と簡単やんけ!」
8月の僕「行列式の計算とか掃き出し法とかめんどいだけで、ほとんど算数やな!ガハハ!!!ヨビノリみてりゃ余裕ですわ!!」
11月の僕「しゃぞーってなんすか?」
大学の中間試験「…だめだこりゃ」
みたいな感じで、恐る恐る授業受ける→簡単で舐める→急に難しくなり絶望という感情の浮き沈みが激しい正弦波のような状態でした。
1年生後期で数学の授業はいくつかとっていたのですが、ギャップを一番感じたのは線形代数でした。
最初は計算問題みたいな具体で来てたのに、後半からベクトル空間上の写像だの基底だのみたいな抽象的な内容になって、難易度の高低差で耳キーンなりましたわ。
さらに、2年生になって本格的な数学科の授業が始まると、1年生のときの数学よりもはるかに抽象度の高い内容が始まり、位相空間のあたりで僕の心は折れすぎて折り鶴になってました(?)。
とまぁそんな調子で2年生以降も心は折られ続けまして、3年生のルベーグ積分の授業で僕の自尊心は完全に木端微塵になりました。
自尊心が木っ端微塵になり、ゾンビのように大学内を徘徊するだけの存在になり果てた僕は、ゾンビ以前の習慣にならって本屋をゾンビ徘徊しているとなにやら光って見える本がありました。
それが、小平邦彦『怠け数学者の記』岩波現代文庫です。
ピースの又吉さんが「本当に必要としている本は、光って見える」っておっしゃっていましたが、その時の僕は同じ能力を有していたので、当時の僕は実はゾンビではなく又吉さんだったのかもしれません。
さて、導入が長くなってしまいましたが、本題に入りましょう。今回の主張は以下の通りです。
数学で心折れてしまった人は、『怠け数学者の記』を読もう!
えー、僕としては読んでもらえればそれで解決だと思っているので、ここで終わりにしてもいいのですが、みなさんと僕は友達ではないのでこんな雑な薦め方じゃ読んでもらえませんよね。
なので、『怠け数学者の記』がどんな本で、どんな効用があるのかについて以下書いていこうと思います。
他人のふんどしで相撲を取るようで恐縮ですが、どうか付き合っていただければと思います。そんな感じで、どうぞよしなに。
小平邦彦さんってどんな人?
まず、小平邦彦さんが誰かわからない浅学で無知なあなたのために(失礼)簡単に紹介をしましょう。
Wikipediaによると、こんな感じの人らしいです。
えー、僕も浅学で無知なのでこの本読むまで小平邦彦さんがどういう人か知りませんでした。なので、人類の叡智の結晶である集合知センパイこと、Wikipediaさんから引用しました。
フィールズ賞ってのは、40歳以下の若手数学者に贈られる数学のノーベル賞みたいなもんなのでめちゃくちゃすごい賞だと思ってもらったらいいです。
ちなみに、ウルフ賞もノーベル賞みたいなもんとして認識して良いと思います。こっちは年齢制限がなく、フィールズ賞と違って数学以外の部門もあります。
ウルフ賞はノーベル賞には存在しない農業部門、芸術部門があるのが面白いと思います。
数学のノーベル賞みたいなもん?
数学のノーベル賞はないのか?と思われた聡くて浅学なあなたのために(失礼)補足しておくと、ノーベル賞に数学部門はありません。
ノーベルさんの恋敵が数学者で、そいつが受賞する可能性があるから数学部門を設けなかったそうです。
(ちゃんと裏取りしてないのでガセネタの可能性があります。大体こういう面白い裏話はガセネタと相場が決まっているので鵜呑みにしてどや顔で人に話すのは控えたほうが賢明でしょう。くれぐれもnoteなど不特定多数の人の目のつくところで適当に博識ぶって知識を披露しないように!!!!)
話を小平邦彦さんに戻しましょう。
小平邦彦さんは、調和積分論、二次元代数多様体の分類などの貢献が理由でフィールズ賞を受賞したようです。
調和積分論、二次元代数多様体がなんなのかということは説明しないので、このいかついワードに一瞬ひるんでしまったみなさん、安心してください。
ここでは、めちゃくちゃ数学できる天才学者として認識しておけばよいです。
数学書を読破するのは難しい
このエッセイ集が面白いのは、こんなすごい数学者でも数学を勉強するのは一筋縄でいくものではないということが赤裸々に語られている点です。
どんなことが語られているのか、冒頭3ページ目の「ノートを作りながら」から引用してみましょう。
共感の嵐!!!嵐!!!ARASHI!!!!!!!
まじで数学書読んでる時の僕の状況とまんま同じ!
「数百ページある本の終章に達するのは時間的にも不可能に近い。何か数学書を速く読む方法があったら教えて貰いたいものである。」
これその通りすぎる!!!!
数学の勉強をしていると、あまりにも内容が頭に入ってこないし、定義や定理を覚えていられないし、練習問題も解けないしで、僕の頭は致命的に出来が悪いのではないか、という気分になることばかりです。
しかしこれを読んでわかるのは、天才数学者でさえも同じような気持ちで数学書を読んでいるのだということです。
僕の頭の出来が特別悪いのではなく、数学を学ぶというのはそういうものなのだというお墨付きを貰えたような安心感が感じられました。
数学は論理の学問じゃない?
さて、この冒頭部分だけでも悩める数学徒にとっては値千金の価値がある文章なわけですが、この本はそれ以外にも面白い点がいっぱいあります。
その一つが、数学は論理の学問ではないという斬新な主張がなされている点です。
確かに表現形式には論理が使われているのですが、数学を前に進めているのはどちらかと言えば「数覚」とも呼ぶべき感覚だろうという考えみたいです。
数学の勉強してると割と共感できることではあるんですよね。論理的には理解できたことってあんまり頭の中に残ってなくて、しかも活用もうまくできない。
けれど、なんのための定義なのかとか、なんでこんな記述の仕方をしているのかみたいなイメージが掴めると途端に納得が得られるんですよね。だいぶ抽象的な話ですけど。
この「一数学者の妄想」という文章の最後の方には、バーナード・ショウの『メトセラ時代に帰れ』(邦題:『思想の達し得る限り』)という作品を引き合いにして、数覚が異常に発達した人類の未来というSF世界を妄想しているのもエキサイティングですごく面白いんですよねぇ。
この章の冒頭で「私は教養に乏しい単純な数学者で、」と言っている割に、しっかり人文系の教養もあることが端々から感じられるので、参っちゃうぜという感じです。
その他おもしろポイント
面白いポイントをいちいち挙げているととんでもない文量になりそうなので、最後に面白いポイントを列挙して筆をおこうと思います。どれか1つでも興味を引くものがあったらぜひ読んでみてください。
アインシュタインの講義の思い出
豚にお酒を飲ませるオモシロ実験の話をしようとも、聞き手に即座に話題を変えられてしまう小平邦彦さん(萌え)
現代音楽家ジョン・ケージ『四分三十三秒』に対する痛烈な批判(切れ味鋭くて笑っちゃう)
「勿論この世の中にはいくらでも変わった人がいますから、ケージがこんな曲を書いたこと自身はどうでも構いませんが、この曲について現代の音楽家、評論家が真面目に議論しているところを見ると、作曲は先代の偉大な業績に抑圧されて行き詰ってしまったと考える他ない、大体、常識のある人でこの『四分三十三秒』などという馬鹿な曲を真面目に聞く人がいるでしょうか?」(小平邦彦『怠け数学者の記』(岩波現代文庫)p67-p68 「科学・技術と人類の進歩」)
大学時代先生に試験免除をお願いして承諾された話
レストランに行こうと提案したら先生に激怒された話
電卓は文明を滅ぼす
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