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#1637 相互主体的な授業

今回は、梅野・林編著『教師のための授業実践学』からの学びを整理する。

この書籍では、教師と子どもによる「相互主体的な授業」の在り方について考えることができた。

1 「相互主体的な学び」とは?

これまでの学校教育では、「教師-子ども」の関係が「主体-客体」関係、つまり「教える-教えられる」関係で捉えられてきた。

だからこそ、画一的な一斉授業が広がり、教師が一方的に子どもに知識を伝達し、子どもは受動的な状態となっていた。

しかし、これからの時代の学校教育では、このような「観」を転換する必要がある。

すなわち、「教師-子ども」の関係を「主体-主体」関係、つまり「教える-学ぶ」関係として捉える必要がある。

言い換えれば、「相互主体的な授業」に転換することが求められるのである。

教師は「子どもに教え、子どもを支える立場」としての主体性を発揮する。

子どもは「自らの学習を行う立場」としての主体性を発揮する。

このように捉えれば、両者は二律背反する概念ではなくなるはずである。

2 授業という「場」を成立させる三大要素

次に考えたいことは、授業という「場」に存在する3つの要素である。

それは、すなわち「教師」「子ども」「教材」という3要素である。

これら3つの要素が互いに関連し合うことで、授業という「場」が生起する。

1つ目は「教師-教材」の関係である。

「教材」側からは、「教育的価値」が発せられ、教師はそれをキャッチする。

「教師」側は、教材にある「教育的価値」を見出し、それをもとに指導計画を立てることになる。

また、教材研究を深めることで、授業を通して子どもたちに気づかせたい「教育的価値」が浮き彫りになるので、授業中の教師の働きかけの内実が変わることになる。

2つ目は「子ども-教材」の関係である。

「教材」側からは、「学ぶべき価値」が発せられ、子どもがそれに反応する。

「子ども」側は、「学ぶべき価値」をキャッチしたり、「問い」をもったりする。

また、教材のもつ魅力により学習意欲を高めたり、「もっと理解したい」「もっと深く学びたい」と要求を示すようになる。

3つ目は「教師-子ども」の関係である。

上記で示した「教師-教材」「子ども-教材」関係というものは「目に見えないもの」である。

そのため、教師側は「子どもが教材をどう受け止めたか」を把握する必要があり、子ども側は「教師が教材をどう捉えたか」を知る必要がある。

つまり、教師と子どもの間で「コミュニケーション」を図ることで、「教師-教材」「子ども-教材」の関係を可視化していくことができるのだ。

だからこそ、子どもは教材から生起した「問い」を可視化し、教師は子どもから出た「問い」を尊重し、解釈しなければならないのである。

3 「教材」が「教師」と「子ども」のどちら側にあるか?

次に考えるべきことは、「教材」が「教師」と「子ども」のどちら側にあるかを考えることである。

1つ目は「教材≒教師」となっている場合である。

このような場合、「教えるべきこと」「学ぶべきこと」が教師側になり、それを子どもに伝達することに主軸が置かれる。

これは教師による「発問」を中心に授業が展開されることを意味する。

これが行き過ぎると、「画一的な一斉授業」となる。

2つ目は「教材≒子ども」となっている場合である。

このような場合、子どもたち一人一人が教材とどう向き合っているか、どのような問いが生まれているかを教師が把握することが肝要となる。

そして、教師は「認める」「励ます」「支援する」などの働きかけをすることになる。

つまりこのような授業を志向することで、一斉授業を廃した「個別最適な学び」に近づけることができるのである。

上記のような「相互主体的な授業」を考えると、授業という「場」に成立する「教師」と「子ども」にはそれぞれ「役割」があることに気づく。

4 教師と子どもがもつ役割

次は、それぞれの主体がもつ「役割」について整理する。

1つ目は「教師側の役割」である。

教師は「子どもに教え、子どもを支える」主体として、次に示す役割が必要となる。

①めあての必然性と意味理解の明確化
②子ども個々の考え方の顕在化
③教師の意図を見抜かせる工夫
④教材の魅力に触れされる教授行為
⑤教材の面白さの顕在化
⑥子ども個々の活動の診断・評価

このような役割を志向し、授業の中で実行していくのである。

そして、教師は「反省的実践家」として、常にリフレクションをすることが求められる。

リフレクションの在り方は2種類ある。

それは「行為中のリフレクション」と「行為後のリフレクション」である。

つまり、「授業をしながら行うリフレクション」と「授業後に反省するリフレクション」である。

このような「ダブルループのリフレクション」が教師には求められるわけである。

また教師には、授業を成立させるための「実践的知識」が必要となる。

具体的には「教材内容についての知識」「教育方法についての知識」「子どもについての知識」である。

これら3つの知識が相互に重なる部分の知識が最も重要であり、それが授業の質を高めることになる。

さらに、教師の力量形成には「形式知」と「暗黙知」とがある。

前者は「言語・文章で表現できるスキル」であり、後者は「身体的に自動化されたスキル」である。

教師はこのような「形式知」と「暗黙知」の相互作用を通して、力量を形成していくのである。

2つ目は「子ども側の役割」である。

子どもは「自らの学習を行う」主体、「自ら学ぶ」主体として、自分に合う学習過程を踏むことが求められる。

それは、以下に示す学習ストラテジーかもしれない。
①メタ認知ストラテジー
②認知ストラテジー
③社会・情意ストラテジー

または、「予見」「遂行」「内省」から成る「自己調整学習」過程かもしれない。

はたまた、以下に示す学習スキルかもしれない。
①自己対話する
②要約する
③イメージする
④評価する
⑤協力する
⑥明確化のための質問をする
⑦繰り返す

このような学習科学に裏打ちされた「学習過程」いわば「学び方」を教師が紹介し、子どもは自分に見合う学習過程・学び方を選択・決定していくのである。

そして、教師がリフレクションをするのと同様に、子どもも自分に合う学び方ができたかどうかを内省するのである。

5 手段としての「学習集団」と探究を生む「学び合う集団」

さらに子どもたちは、学習者として「一人」で学んでいくわけではなく、「集団」の中で共に学んでいく。

このような集団は「学習集団」と呼ばれる。

子どもたちは「学習集団」という「手段」を通して様々な学習内容を理解する。

また「学習集団」が「学び合う集団」となり、プロジェクト的な探究的学習に発展することもある。

6 教材の在り方

次に考えたいことは「教材」の在り方についてである。

よく議論されるのは「教材を教える」のか、「教材で教える」のかである。

「教材を教える」場合、教師はその教材が教育内容を学ばせる材料としての性格を有していることを自覚することが求められる。

この「教材を教える」立場の場合、それは「学びの直接的対象としての教材」であり、「分野・領域としての教材」と捉える必要がある。

また、「教材で教える」場合、教師は教育内容が子どもの能動的な学習意欲を保証する直接的な対象になるように素材を選定することが求められる。

この「教材で教える」立場の場合、それは「教える材料としての教材」であり、「単元・題材としての教材」と捉える必要がある。

7 学んだ力と学ぶ力

授業では、子どもに何らかの力を形成することが目的となる。

それは「学んだ力」と「学ぶ力」の2つである。

前者は、知識や技能の習得を意味する。

いわば「結果」としての学力である。

それに対し、後者は、態度や非認知能力、学び方などの獲得を意味する。

また、この「学ぶ力」は「行い方(行為傾向)」「感じ方(感情)」「考え方(認知)」に支えられる。

いわば「過程」としての学習力である。

「学んだ力」は基礎的・基本的な知識・技能の習得が目標であるので、系統的な教材編成がされ、提示・説明的教授行為が志向され、学習集団の形態は一斉的となる。

それに対し、「学ぶ力」は「学び取り方」の能力形成が目標であるので、課題解決的な教材編成がされ、探究的・発見的な教授行為が志向され、学習集団の形態は小集団的となる。

このように、目指すべき「目標」により、「教材編成」「教授行為」「学習集団の形態」が変容するのである。

8 まとめ

以上のように、「相互主体的な授業」には、目を逸らすことができない重要な要素が盛り込まれている。

①「教師-子ども-教材」という三大要素
②「教師≒教材」か「子ども≒教材」かという問い
③「教師という主体」と「子どもという主体」の役割
④「教材内容についての知識・教育方法についての知識・子どもについての知識」の必要性
⑤「学習集団」と「学び合う集団」の組織
⑥「教材を教えること」と「教材で教えること」の区別
⑦「学んだ力」と「学ぶ力」の育成

このようなことを念頭に置き、「相互主体的な授業」を志向していきたい。

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