#1463 教師のアリバイづくりと構成主義
教師はいわゆる「教えたがり」である。
教師が黒板の前に立ち,子どもたちに指導事項を教える。
これが「自分はきちんと教えた」というアリバイとなる。
そして,「自分は教えたのだから,分からないのは子どものせいだ」と責任転嫁をする。
学校現場では,このようなアリバイづくりが横行している。
しかし子どもは,教師が教えた通りにそれを理解することはない。
「学び」というものは,個々の子どもの中で個性的に構成されるものである。
これを「構成主義」と言う。
すでに理解できている子ども,教師の説明で理解できる子ども,教師の説明では理解できない子どもなど,多様な「学び」の形があり得る。
それにもかかわらず,「教えた」というアリバイだけをつくり,あとは子どもの側に責任転嫁をすることはナンセンスなのである。
このような構成主義に則るならば,教師が黒板の前でアリバイづくりの指導を必ずしなくてもよいことがわかる。
子どもたち同士で学び合いをしてもよいわけである。
子どもたちに教科書を活用するように言い,自主的に学んでもらってもよいわけである。
しかし,教師にはどうしても「アリバイづくり病」が発症し,黒板の前で説明をしたくなってしまう。
教師である自分が説明・指導をしないと,子どもたちは理解できないと思い込んでいる。
けれどもそれは幻想である。
教師が説明しても,子ども同士が学び合っても,教科書だけを活用させても,理解できる子どもは理解できるし,理解できない子どもは理解できないのである。
そうであるならば,教師はアリバイづくりに奔走することなく,子ども同士が学び合えるよう支援することが求められる。
または,教科書やICT機器を活用できるように声をかける必要がある。
このような取組を続けることで,教師に依存しなくなり,協働性や自律性も育んでいくことができるのだ。
手が空いた教師は,理解が遅い子どもの個別指導をすればよいのである。
一斉指導や全体説明というアリバイづくりに頼らずに,どうすれば子どもの中で「学び」が構成されるかを考えるようにしていきたい。
では。
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