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「新しい資本主義」は中間層の再建が鍵-分析編-

岸田政権が掲げた「新しい資本主義」は「成長と分配の好循環」を実現しようとしている。核となるのは「家計所得の増大と分厚い中間層の形成」である。「分厚い中間層の形成」を論じる前に、まずは我が国でも所得格差が拡大している状況を概観し、中間層の再建が重要なことを示す。なお、中間層の再建策等については、次回以降の予定。


「新しい資本主義」の核は「分厚い中間層の形成」


岸田文雄政権は「新しい資本主義」を掲げて発足し、引き続き主要政策の一つとして掲げている。
首相官邸ウエブサイトに「成長を目指すことは極めて重要であり、その実現に向けて全力で取り組みます。しかし、『分配なくして次の成長なし』。成長の果実を、しっかりと分配することで、初めて、次の成長が実現します。大切なのは、『成長と分配の好循環』です。」とあり、全くその通りである。そのために「①成長戦略」「②分配戦略」「③全ての人が生きがいを感じられる社会の実現」とあり、それぞれについて個別の取組み項目が並んでいる。個別の施策の中身についてはさらなる検討の余地があるが、これらの項目自体には全く異論はない。
「成長と分配の好循環」を実現するためにはいろいろな施策が必要であるが、鍵は中間層の再建と考える。我が国のGDPの55%程度を占める家計消費が盛り上がらなければ成長は実現しない。しかしながら、実質賃金は1990年代半ばをピークに減少基調で推移してきた(図1)。これでは家計消費が停滞し、GDPの成長も期待できない。事業所規模が30人以上の実質賃金は2021年、2022年は回復しているが、事業所規模5人以上の実質賃金は2022年に前年比で減少している。
バブル崩壊以降のいわゆる「失われた30年」のマクロベースでの原因は有効需要不足である。有効需要不足が解消しないうちに増税を実施すれば、「失われた40年」になりかねない。財政バランスの回復も覚束ない(「財政均衡至上主義では財政バランスは回復しない」2023年4月21日、参照)。岸田政権には、増税せずに「新しい資本主義」実現に邁進して欲しい。

図1:実質賃金指数(2020年平均=100)

出所:厚生労働省「毎月勤労統計調査」より筆者作成(図の注を文末に記載)。

所得格差拡大に関する分析

(1)所得再分配調査による「中間層の崩壊」把握の試み

中間層の再建と前述したが、「中間層」と言った時、政治分野か経済分野かなどをはじめとして、そのイメージするものは様々であろう。その判別基準は、階層帰属意識、生産手段の有無、所得階層など様々であるが、所得の観点からは大雑把に富裕層と貧困層の間が「中間層」ということになろう。経済分野では「中間層の疲弊」「中間層の崩壊」などの言葉が使われてきたが、漠としたイメージはあるものの、統計的にはやや把握しにくいように思える。富裕層、中間層、貧困層の境目をどこにするのかは一概に決めにくい。例えば、世界銀行は国際貧困ラインを「2011年の購買力平価(PPP)に基づき、1日1.90ドルと設定」しているが、これは本稿で用いている「中間層」に対する貧困層とはイメージがかけ離れているように思える。
本稿の目的は「中間層」自体の分析ではないので、本稿では「中間層」を直接的に定義することはせず、主として厚生労働省「所得再分配調査」を利用して、所得格差の状況を把握する。所得格差が拡大しているのであれば、「中間層の疲弊」「中間層の崩壊」などの言葉が統計的にも裏付けられると一応言えるのではないか。
なお、「所得再分配調査」は1972年以降は3年周期で調査を実施しており、最新は2020年の調査になるはずであったが、「※令和2年に予定していた調査は、先行する国民生活基礎調査の中止に伴い実施しないこととなりました。」(厚生労働省ウエブサイト「所得再分配調査」より、2023年7月5日アクセス)との事である。従って、最新のデータは2017年調査(調査対象年は前年の2016年)となっている。ここにも中華人民共和国武漢発の新型コロナウイルスの影響が表れている。

(2)当初所得の格差は拡大基調

所得格差を把握する指標としてもっともよく用いられるものとしては「ジニ係数」がある。ジニ係数は0~1までの値を取り、0に近いほど所得格差が小さく、1に近いほど所得格差が大きいことを示す。税や社会保障による調整前の所得を「当初所得」、当初所得から税金、社会保険料を控除し、社会保障給付(年金や医療など)を加えたものが「再分配所得」である。なお、ジニ係数の求め方に関心がある方は、各年の厚生労働省「所得再分配調査報告書」などの解説を参照いただきたい。
当初所得のジニ係数を見てみると(図2)、1980年を底に拡大基調にある。1980年の当初所得のジニ係数は0.349であったが、2013年には0.570まで拡大し、直近調査の2016年は0.559である。当初所得ベースでは所得格差の拡大が年々大きくなっており、特に1990年代半ば以降は格差が拡大しているのが分かる。
再分配所得のジニ係数を見てみると、1998年以降はそれ以前に比べて数値の水準が上がっている。2004年をピークにやや減少傾向にあるものの、かつてに比べれば再分配所得においても格差が拡大していると言えよう。なお、当初所得のジニ係数と比較すると、所得再分配が機能していることは分かる。
単身世帯の増加などの影響を考慮し、世帯員単位でのジニ係数を計測したものが「等価所得」(注)である。等価所得でジニ係数を見ると、当初所得も再分配所得も元々のジニ係数よりは数値が小さくなっている。ただし、数値の推移の傾向はほぼ同じである(等価再分配所得については1998年がピークと元々の再分配所得のジニ係数よりはピークが早いがその後ほぼ漸減傾向なのは同様)。つまり、当初所得のジニ係数拡大は、単身世帯増加などの小規模世帯の増加の影響があるが、当初所得の所得格差が拡大基調であることは変わらないと言える。

(注)「等価所得」についてもう少し詳細に知りたい方は、本稿末尾の「用語等の解説」を参照。

図2:ジニ係数の推移

出所:厚生労働省「所得再分配調査」より筆者作成(図の注を文末に記載)。

(3)再分配は税よりも社会保障

世帯単位で見た当初所得のジニ係数上昇は、単独世帯の増加、高齢者世帯の増加なども影響している。単身世帯増加の影響については、前出の「等価所得」である程度把握可能であろう。高齢者世帯増加の影響は社会保障によるジニ係数の改善度である程度把握できると考える。
再分配によるジニ係数の改善度は、1977年を底に上昇基調である(図3)。その内訳を見ると、税による改善度はそれほど大きくはなく、社会保障による改善度が大半を占める。社会保障は年金、医療、介護などである。年金の基本は現役世代から高齢世代への再分配である。医療も高齢者医療費の増加が課題になっているように、高齢世代への再分配の要素がある。つまり、世帯単位のジニ係数の拡大基調は、高齢化による影響が多分に含まれる可能性が考えられる。

図3:再分配によるジニ係数の改善度

出所:厚生労働省「所得再分配調査」より筆者作成(図の注を文末に記載)。

(4)現役シニア層の所得格差も拡大傾向

等価所得による年齢階級別の当初所得のジニ係数を見てみると(図4)、年金受給が可能な65歳以上の年齢階級に比べて、現役世代と言われる60歳未満の年齢階級の所得格差が小さいことが分かる。年次推移を見ると、75歳以上は当初所得格差拡大基調、65~69歳は当初所得格差縮小基調となっている。
現役世代のみの図4右図を見てみると、55~59歳の当初所得格差が大きく、かつやや拡大傾向にあるように思われる。45~49歳も拡大傾向があるようだ。新入社員・若手社員の頃よりベテラン・シニアになるほど年収の個人差が拡大していくのが通常であろうから、年齢階級が上になるほど当初所得のジニ係数の値が大きくなるのは自然である。
しかしながら、同一年齢階級の当初所得のジニ係数が年次ごとに変化しているのは、何かしらの構造変化が存在していると思われる。有り体に書けば、収入面での格差が拡大しているということだ。「分配戦略」でその格差を補おうというのが、岸田政権の「新しい資本主義」の一側面である。
「分配戦略」を強化すること自体は賛同するが、当初所得の格差拡大傾向が継続するとするならば、社会に歪が蓄積されていくことにはならないだろうか。

図4:世帯員の年齢階級別当初所得のジニ係数(等価所得)
   左図:全世代(各代後半)、右図:60歳未満各代後半

出所:厚生労働省「所得再分配調査」より筆者作成(図の注を文末に記載)。

(5)金持ちはより金持ちに、貧乏はより貧乏に

所得の低い世帯から順に並べてそれぞれの世帯数が等しくなるように十等分した十分位階級(注)で所得構成比を見ると、所得の集中度が分かる。

(注)「十分位階級」等についてもう少し知りたい方は、本稿末尾の「用語等の解説」を参照。

当初所得について図示した図5の上図を見ると、いわば最も金持ちである第10・十分位の世帯の所得構成比は1980年を底に増加基調にある。一方、下から3番目の第3・十分位の世帯の所得構成比は1980年以降減少基調にある。図示していないが、第1・十分位、第2・十分位も同様の傾向である。世帯数の観点では真ん中である第5・十分位も1980年、第6・十分位は1995年以降減少基調にある。
さらに当初所得の累積構成比を図示した図5の下図を見ると、所得の集中度が進んでいることをよりイメージしやすいであろう。第8・十分位は3番目に所得が高いグループである。第8・十分位の累積構成比とは、所得水準の低い方から8割までの世帯の所得の構成比ということである。
第8・十分位の当初所得の累積構成比は、1980年の58.4%をピークに減少基調となり、直近調査の2016年では44.4%となっている。反対側から見れば、我が国では2割の世帯が約55%の所得を得ていることになる。また第8・十分位の当初所得の累積構成比が年々減少傾向にあるということは、いわゆる「中間層の疲弊」「中間層の崩壊」などの表現がデータ的にも支持されると言えるだろう。俗な表現をすれば、金持ちはより金持ちに、貧乏はより貧乏にといったところか。

図5:当初所得の十分位階級別所得構成比
   上図:構成比、下図:累積構成比


出所:厚生労働省「所得再分配調査」より筆者作成(図の注を文末に記載)。

分析編まとめ


本稿では、中間層の再建こそが「新しい資本主義」の鍵であるという認識の下、我が国の中間層の現状はどうなのかという観点で「所得再分配調査」のデータを中心に分析を行った。
我が国の実質賃金は1990年代半ばをピークに減少基調で推移しており、これでは有効需要の過半を占める家計消費が盛り上がらない。この場合の実質賃金は平均値であり、所得格差が拡大しているのであれば、実際の多数世帯の収入感覚に近い中央値はもっと低いはずである。
本稿の分析からは、当初所得の格差は1980年頃から拡大傾向が継続していることが分かる。ただし、単身世帯の増加、年金受給世帯が増えることとほぼ同義の高齢化の進展、なども世帯ごとの所得格差拡大の大きな要因となっている。そうであっても、高収入世帯への所得集中が進行しているのも確かであろう。
成功者を素直に称えるのは社会の活性化や経済の成長に重要であり、成功者の足を引っ張るような社会は陰惨で暗く、経済も停滞あるいは低迷する。しかしながら、程度の問題はあり、また金銭だけが成功報酬ではない。さらに言えば、金銭的に多くの収入を得ることが可能な背景には、搾取的な体制を強行している場合を除けば、社会の安定、国家の独立維持が大前提である。次稿では、このような考えと本稿の分析を踏まえて、中間層の再建に関する提案を行う予定である。
なお、「所得再分配調査」は「国勢調査」のような全数調査ではなく標本調査である。極端な偏りが生じないように調整は行われているが、実態とは誤差が生じ得るものであり、本稿での分析も幅を持ってみる必要がある。


用語等の解説


以下では、「等価所得」、「ジニ係数の改善度の分析方法の見直し」、「十分位階級別所得構成比」について解説する。

≪等価所得≫
ジニ係数は世帯単位で計測されている。しかし、「平成17年 所得再分配調査報告書」によると「例えば単身世帯が増加する事によって世帯の形体が多様化すると、見かけ上ジニ係数が上昇することがあり得る」との事である。そこで世帯単位の集計のみではなく、世帯員単位のジニ係数を計測するために算出したものが「等価所得」である。
所得を世帯員単位に変換する方法は様々な手法が考えられるが、「非常に煩雑であることから、OECDなどでは一律に世帯人員の平方根で除して、それを世帯員単位の所得とみなすという方法がとられる」とのことで、我が国の「所得再分配調査」も同様に、世帯の所得を世帯人員の平方根で除した数値を「等価所得」としている。
なお、「所得再分配調査」における等価所得での集計は2001年分が初めてであるが、1992年分まで遡って集計を行っている。


≪ジニ係数の改善度の分析方法の見直し≫
--------以下、厚生労働省「平成17年 所得再分配調査報告書」より--------
これまでの所得再分配調査においては、当初所得から税を控除した「税による再分配所得」と「当初所得」のジニ係数を比較して「税による改善度」を算出し、当初所得に現物給付・社会保障給付金を加え、社会保険料を控除した「社会保障による再分配所得」と「当初所得」のジニ係数を比較して「社会保障による改善度」を算出していたが、
・人口の高齢化に伴い課税対象となる給付を受ける者が増加していること
・平成17年から年金課税の見直しが行われることになったこと
等を踏まえ、今回調査よりジニ係数の改善度の分析方法の見直しを行った。

<従来の分析方法>
①当初所得
②税による再分配所得= ①-税金
③社会保障による再分配所得= ①+現物給付+社会保障給付金-社会保険料
④再分配所得= ①+現物給付+社会保障給付金-社会保険料-税金

税による改善度= 1 - ②のジニ係数/①のジニ係数
社会保障による改善度= 1 - ③のジニ係数/①のジニ係数
再分配による改善度= 1 - ④のジニ係数/①のジニ係数

<今回調査の分析方法>
①当初所得
②(当初所得に社会保障給付金を加え、社会保険料を控除したもの)= ①+社会保障給付金-社会保険料
③可処分所得= ②-税金
④再分配所得= ③+現物給付

税による改善度= 1 - ③のジニ係数/②のジニ係数
社会保障による改善度=1-②のジニ係数/①のジニ係数×④のジニ係数/③のジニ係数
再分配による改善度= 1 - ④のジニ係数/①のジニ係数
--------以上、厚生労働省「平成17年 所得再分配調査報告書」より--------

なお、ジニ係数の改善度の分析方法の見直しは2005年調査で実施されたが、1993年調査まで遡って数値が公表されている。


≪十分位階級別所得構成比≫
--------以下、厚生労働省「平成29年 所得再分配調査報告書」より--------
所得の十分位階級とは、世帯(又は世帯員)を所得の低い方から高い方に並べてそれぞれの世帯数(又は人数)が等しくなるように十等分したもので、低い方のグル-プから第1・十分位、第2・十分位、……、第10・十分位という。
所得の構成比は、全階級の所得の合計額に対する各階級の所得額の割合、累積構成比はそれを第1・十分位から順次累積したものである。
--------以上、厚生労働省「平成29年 所得再分配調査報告書」より--------

つまり、この数値を見ることによって、富の集中度がある程度把握できる。なお、2001年分以降のデータは等価所得での集計もあるが、過去まで遡れるという観点で、本稿では世帯単位のデータを利用している。


図1の注
数値は現金給与総額、就業形態計、調査産業計。

図2の注
注1:当初所得は、雇用者所得、事業所得、農耕・畜産所得、財産所得、家内労働所得及び雑収入並びに私的給付(仕送り、企業年金、生命保険金等の合計額)の合計額。
注2:等価所得は、世帯の所得を世帯人員の平方根で割って調整したもの。

図3の注
注1:2005年にジニ係数の改善度の分析方法の見直しが行われている(見直し内容は「用語等の解説」参照)。そのため、1989年以前と1992年以降では、税と社会保障の改善度の数値の連続性はない。再分配による改善度は連続性が維持されている。
注2:1971年の改善度については、1981年版調査のジニ係数の値を基に筆者が再計算している。本図の1977年の棒グラフと折れ線グラフの関係が歪であるが、1981年版調査の数値を再確認した上で、そのまま図示している。1961年の内訳データは入手できず。

図4の注
注1:見やすいように年齢階級の各世代の後半のみ図示している。
注2:等価所得は、世帯の所得を世帯人員の平方根で割って調整したもの。

図5の注
注1:見やすいように十分位階級を抜粋して図示している。
注2:十分位階級については、「用語等の解説」を参照。
注3:等価所得ではなく世帯単位の数値。


20230705 執筆 主席研究員 中里幸聖


本レポートの続編:
『新しい資本主義』は中間層の再建が鍵-提案編-」(2023年7月13日)
『新しい資本主義』は中間層の再建が鍵 -データupdate-」(2023年8月28日)


前回レポート:
地球を巡る二つのアジア発世界ビジョン」(2023年6月14日)









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