ワトソンの回帰定理
★追記あり(2017年8月5日更新)
どういうわけか、いまさらになって、エマ・ワトソンが2014年9月に行った国連でのスピーチが話題になっていた。これは「HeforShe」という男女平等キャンペーンの発足にあわせて行われたスピーチで、乱暴に要約すれば「男性は男性らしさ(の社会的要求)から降りれば、女性の立場も自然と平等になっていく」というものだ。
このスピーチに対してネットを中心に批判が巻き起こっていた。批判者によって提示された最大の論点のひとつは「男性が男性らしさを降りればよい、と主張する人間(=エマ)のパートナー(男性遍歴)は、まさしく男性らしさの競争の勝者ばかりではないか」というものだった。
もちろん、マクロな範囲で呼びかける社会的イデオロギーと、呼びかける当人の個人的な最適行動に矛盾があったとしても、程度問題とはいえそれは仕方ないことだろう。たとえば、社会格差や貧困問題に取り組まんとしている人が、すべての私財をなげうたなければいけない(豊かな暮らしをしてはならない)道義的ないわれはないからだ。しかしながらインターネット世界には、エマのその言行不一致(矛盾)を「仕方ないこととしては決して済まさないぞ」という情熱がほとばしっていた。
エマの公私の矛盾的な様相が戦端となって勃発した議論は、非常に広範な論点を巻き込みながら戦火を拡大していった。このスピーチをもとに交わされた議論を追ってみると、現在のフェミニズムの理論的なほころびと行き詰まりが浮かびあがってくる。エマのスピーチを振り返りながら、そのことについて少し考えてみよう。
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