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自分が決めた日は、やがて運命の日になる。

2月27日。
学習支援塾エールの経営母体が
「エール株式会社」として法人化した設立記念日です。

この日に決めたのは、
スケジュール上の流れでしたが、
それはやがて「運命の日」となりました。

今回は、そんなお話です。


『学習支援塾エール』は、
私の「子育てをやり直したい!」という母心と、
「志のある子が活躍できる社会に!」という経営者魂だけで
「学習塾を作りたいから、原田メソッドを使わせてください!」と
原田メソッドの開発者・原田隆史先生に懇願して、
2017年4月。経験ゼロ、資金ゼロ、知識ゼロで開校しました。
(この時のお話もいずれ書いてみたいな、と思います)

思いはあるけど、お金がなくて、
教室すら持てない私たちは、
地域の公民館の会議室を借りながら、1日の休みもなく授業を続けました。

そしてようやく、教室を持てるまでになり、
開校から1年後の2018年2月27日
原田隆史先生を役員に迎え、「エール株式会社」として法人化。
『学習支援塾エール』は、原田教育研究所の教育事業の一環として、
新たなスタートを切ったのです。


法人設立する前日の2月26日には
設立記念行事として、原田先生の講演会を設けました。
原田先生が名古屋にお越しになれるタイミングがココしかない!(=この日しか先生のご捺印がいただけない)ということでしたので、設立は必然的に翌日の「2月27日」となりました。

設立記念行事では、私も講話の機会をいただき、
日本の子どもたちの自立のために、と決意を新たにしました。

講演会の後方の席には、父が座り、
初めて私の仕事を知ってもらう機会にもなりました。



ところが、2年後の
2020年2月27日。
エールは、再び決意の日を迎えます。

夕方18時ごろでした。
私は、設立記念日を祝うスタッフとの食事会へ向かうために身支度をしていました。
その日は木曜日。いつも開講している高校生エールを「祝日」として休講し、翌日の中3の受験対策講座は受講生全員が志望校合格したので「閉講」に。
この2日間が、偶然にもエールの休みになっていたことも、奇跡だったと、今は思います。

そろそろ出かけようとした時、
夕方のニュースで当時の安倍首相が
3月2日からの全国公立小中高の臨時休校を要請したのです。

祝いの席は、スタッフミーティングに変わりました。

学校は休校になるが、幼稚園・保育園は対象外となる。
エールの小学校区では、トワイライトスクールは実施するとのこと。

エールは学校に準じて休校にするのか、
それとも休校中の子どもたちの居場所として開放するのか。

その時、原田先生からLINEが入りました。

「エールはどうしますか?」
「休校にしなさい」と。

そこで私たちは「エール休校」を決定。
しかし、教室を持たない時期も1日も休まず、授業を続けてきたエールです。

学校が休みになっても
子どもたちの成長を止めない。


オンラインで授業しよう、と、その場で決めて、
翌日からの金土日の3日間で、オンライン環境を整えました。

3日間でオンライン整備した、と話すと、
みなさんからは「すごい!」と言われますが、
私たちがやったことはzoomを繋いだだけ、です。
でも、その時はエール生の誰一人としてzoomを使ったことがある子はいませんでした。
保護者も同じです。

私たちは全家庭に連絡をして、
アプリのダウンロードから接続チェック、
配信テストをして、

3月2日(月)19:00。

通常通り、授業を開始することができました。
教室には先生たちだけ。
教室にエール生は1人もいませんでしたが、
オンラインに接続できず、参加できない子はゼロ。
全員が画面越しに集まり、エールは授業を続行させることができたのです。

私たちは、同時に「自宅学習サポート」も実施しました。
学校がない間、朝昼夕の1日3回。
みんなでオンライン教室に集まり、1日の計画と振り返りを続けたのです。
こちらはエール生以外にも無料で提供。素早いオンライン対策は読売新聞にも取り上げていただき、プレスリリースの記事はたくさんのメディアが取り上げてくださいました。
休校中の子どもたちに「自分で考える力」が育っている


こうしたオンライン授業については
当時、ブログでまとめましたので、ご興味ある方はご覧ください。
1ヶ月間、オンライン授業をしてわかったこと


こうして、
私たちは休校を機に、オンライン化に舵を切り、
今日に至ります。


さらに、
2020年2月27日。
私にはもう1つ、大きな変化がありました。

2020年夏にガン告知された父が
その日を境に、歩けなくなったのです。
突然です。
闘病生活を送りながらも、父はとても元気でした。
母亡きあとの自宅に1人で暮らし、
ガン治療を続けながら、変わらず生活をしていました。

歩けなくなった前日は
友人と喫茶店にコーヒーを飲みに行っていました。

なのに、一晩で、1歩も進むことができなくなりました。

私たち家族は、
全員で実家へ行き、父の看病をしました。
学校が休校になっていなかったら、家族で実家に行くことはできなかったかもしれません。

私は、実家からエールに通いました。

その後、父は入院し、私たちは父との別れを意識し始めました。

4月1日に「週明けまでは持たないかもしれない」と
医師から余命を告げられましたが、

私には確信がありました。

翌週の4月6日には甥っ子の高校入学式が、
4月7日には私の娘の中学入学式が予定されていました。

娘は入学式で、入学生代表として壇上に立つことになっており、
父と「一緒に入学式に行こうね」と約束していたんです。
(結局、コロナで入学式が簡素化され、壇上に立つ機会はなくなりましたが…)

父は、入学式を一緒に迎えてくれる。

その思い通り、
4月7日、無事に入学式が終わり、
入学生が体育館を退場すると、病院から
「今から来てください」と電話が入りました。

父が入院していた緩和ケア病棟で
私は妹2人一緒に、父と最期の夜を過ごすことになりました。
コロナで立ち合いはほとんどできませんでしたが、
病棟は最期の夜を受け入れてくれました。

病室はとても快適で、
広い部屋に大きなソファやテレビがあり、
妹たちと一緒に「今夜はお父さんと一緒にテレビでも観て過ごそうね」と言ってましたが、

その日の夜、
安倍首相が 全国に緊急事態宣言を発出

テレビ番組はすべて報道番組になり、
日付が変わった、4月8日。父は安らかに旅立ちました。

日本が前例のない緊急事態に陥る中で、父が旅立ち、
私は、自分のすべきことを考えました。

父は警察官でした。
地域に緊急事態があれば、休みであっても出勤し、
私たち家族は父のいない家庭で、心細い夜を明かしました。
それが当たり前でした。

安倍首相の全国民に対する声明を聞き、
父は出動してしまったのかもしれません(笑)

そう考えたら、私がすべきことは1つでした。


緊急事態時こそ、最前線に立とう。

緊急事態宣言で、学習塾は休業要請対象となりましたが、
すでにオンライン化をしていたエールは、
変わらず授業を続けることができました。
自宅学習サポートはさらに規模を拡大し、
全国の子どもたちに無料で学ぶ機会を創出しました。

そして、実家には、
私の子どもの他、
妹たちの子どもも招いて、
家族全員でエールのオンライン授業を受けました。

不謹慎かもしれませんが、
それはそれは楽しい日々でした。

実家にはいつも子どもたちの笑い声が響き、
みんなで料理を作って、
私が夜、エールから帰ると、
子どもたちが笑顔で出迎えてくれました。

いつも父が一人だった家に、
孫たちが全員集まって、
オンラインを通じて全国の子どもたちの笑顔が広がり、
学校がない間、一緒に計画して
一緒に勉強して、一緒にたくさんの思い出を作りました。

そして、
5月24日
父の五十日祭を滞りなく終え、

5月25日からの学校再開に備えて
(名古屋市は6月1日から再開)

みんな、自宅へ戻りました。


父の死と
学校休校や緊急事態宣言。
エールのオンライン化。

すべてのタイミングが
整っていたので、

「おじいちゃんは、旅立つなら〝この日〟と決めていたんじゃないか」と笑ったら、

高校生の次男は

「それを聞いて、死ぬのが怖くなくなった」と言っていました。



そして、
2021年2月27日。

長男が高校を卒業しました。

長男の塾選びの失敗をきっかけに
子育てをやり直したいと思って、エールを作り、
私と一緒にエールを育ててきた長男。

春からは、
エール卒業生初の学習アドバイザーとして
指導に当たります。

開校最初のエール生が
一巡して、
指導者になります。


そして、
卒業を機に、家を出て、
父が暮らしていた私の実家で一人暮らしを始めます。


また、私の決意の日ですね。

母としても、経営者としても。
手放し、新たに迎える日になりました。


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