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2007/11 シカゴ

久しぶりの海外出張だった。前回が2001年の4-5月のサンディエゴだったから、6年半ぶり。久しぶりといっても海外との仕事をしていた訳ではないので、海外出張なんか行けるはずがないのだが…。ところが2007年から海外の医療機器をリサーチせよというミッションを背負うことになり、毎年11月の終わりにシカゴで開催されるRSNA(北米放射線学会)に行くことになったのだった。

出張前に事前にリサーチしたいくつかの海外の医療機器メーカーとメールでアポイントを取っておき、4日間で16社くらいと展示会場で会う約束になっていた。

事業部長と同行だったので、写真を撮影しているような時間はないと思われ、カメラはIXY DIGITAL 800ISというコンデジのみを持参した。この頃のデジカメは高感度の性能は今のように良くなかったが、コンデジに手振れ補正が付き始めたころのモデルであった。広角端はまだ35mm相当であった。

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時差の関係で昼頃にホテルに到着した。これはホテルの窓からの景色。天気が悪い。確かホテルはシェラトンであった。

仕事は翌日からであったが、会場であるマコーミックプレイスに偵察に行ってみることにした。

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これはタクシーの窓からの写真。右端にウィリス・タワーが見える。

ウィリス・タワーは以前、シアーズ・タワーという名称であった。2007 年はまだシアーズ・タワーであった。子供の頃、図鑑でみた世界一高いという超高層ビルがこのシアーズ・タワーであった。アンテナを含む高さが527mというのは、東京タワーが333mであることを考えると、子供の想像を絶する高さであった。直に見ることはないと思っていたのだが…、最もこの時点では既に世界一の高さではなかったが…。

初日の夜は、ステーキを食べに行った。LAWRY’Sは日本にもあるが行ったことはない。なんと調べてみるとシカゴ店は閉店したらしい…。

ウェイティングバーとかもあって、海外が久しぶりの自分にはいい感じだったのだが…。

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ただ量は日本人には多過ぎた。もうサラダの段階でおなかが満たされていたが、この肉…、必死で食べた。デザートのケーキも巨大で、まあアメリカあるあるの話である。

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シェラトンの部屋。ベッドがバカでかくて快適だったなぁ。

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早朝目が覚めて窓の外を見る。中央は建設中のトランプタワー。この時はこれがトランプタワーという認識はなかった。

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マコーミックプレイスから撮ったミシガン湖。風がものすごく強くて、さすがシカゴはWindy Cityと言われるだけあると思った。湖と言っても日本のように向こう岸が見えるというレベルではない。対岸は100km以上先だ…。

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マコーミックプレイスから街の中央の方を見る。

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帰国前日の午後は時間ができたので散歩した。マグニフィセントマイル、東京でいえば銀座みたいなもんか…。

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リグレービル、シカゴでは有名な建築。

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シカゴ川。左の日が当たっているビルは宿泊していたシェラトンホテル。

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ジョン・ハンコック・センター。こちらも最頂部457.2mと日本のビルに比べれば高い…。この時はこちらではなくシアーズ・タワーに行ったのだった。

タクシーでシアーズ・タワーに向かった。

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2001年9月11日の同時多発テロ以後、シアーズ・タワーに上がるためには、身体検査と荷物チェックが行われるようになり、高層ビルの展望台に上がるだけなのに時間がかかった。エレベーターから降りると、夕景を撮るのにちょうどよい時間帯となっていた。

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ミシガン湖、ブルーが美しい。

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南方向を見ると、街灯がまっすぐ伸びている。日本だと山が見えたりするものだが、どこまでもまっ平だ。これが地平線なのだろうか…。

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西方向。やっぱりまっ平。大陸を感じる。

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北方向。ジョン・ハンコック・センターが見える。すでに暗くなっている。

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シアーズ・タワーを降りて、ユニオン駅に来た。

目的は、映画『アンタッチャブル』(1987年)で「乳母車が落ちて行く階段」を見るためである。

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駅の中は広い。

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これがその階段。でもこれが本当に『アンタッチャブル』で「乳母車が落ちて行く階段」なのかが分からず、通行人につたない英語で「これが『アンタッチャブル』で乳母車が落ちて行く階段」ですか?」と聞く始末。これがそうだと教えてくれたので満足したのだった。

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階段の反対側。東京の駅と違って、駅にいる人の数がまるで少ない。夕方なのに…。やはり車社会で鉄道はあまり使わないのか…。

今思うとコンデジしか持っていなかったとは言え、もっとたくさん写真を撮っておくべきであった。この2年後に再度シカゴに来ることになるのだが…。


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